トム・サットンさんの思い出 〜JWTのマネージメント〜

サットンさんと私

フランクフルトオフィス

トム・サットンさんは英国人でThomas F. Suttonがフルネーム。ロンドンのJWTの系列調査会社であるブリティシュマーケットリサーチビューロー(BMRB)のオフィス・マネージャーを勤めたのち、フランクフルトオフィスに移りドイツのJWTの業績を拡大した。

サットンさんはフランクフルトでピーター・ギローさんという方をオフィス・マネージャーに抜擢された。

ピーター・ギローさんは旧ドイツ国軍の情報将校との関係を駆使し、当時の国内大手企業に食い込み、成果をあげ、西ドイツのトップ・エージェンシーになり、サットンさんの期待に応えた。

ロンドンオフィス

サットンさんは英国に戻り、ロンドンオフィスのマネージメントを手掛け、JWTロンドンの若手のクリエイティブディレクターだったジェロミー・ブルモアさんを抜擢し、クリエイティブのトップに据えた。

三段階特進の抜擢だったと聞いている。ブルモアさんのリーダシップでクリエイティブの質は向上し、広告作品は素晴らしいものになっていった。ロンドンの大衆紙は広告界のニュースをよく取り上げたが、JWTの優れた広告でフロントページを飾り、よく話題となったものだ。

JWTロンドンの仕事はめざましい躍進をとげ、広告取扱扱い高はニューヨーク本社に迫るまでになった。ブルモアさんは後にロンドンオフィスの会長になった。ブルモアさんのクリエイティブのリーダシップを見抜いたサットンさんの慧眼だ。

ニューヨーク本社

サットンさんは1960年代にニューヨーク本社に移り、JWTのインターナショナルのビジネスを統括された。

JWT創立100周年ではフォーチュン誌が「王道を歩んで100年」というタイトルで特集を組み、その表紙を飾ったのはインターナショナルのビジネスを指揮していたサットンさんだった。このことからも彼のニューヨークでの活躍ぶりが窺える。

東京オフィス

JWTのグローバル・ビジネスを統括し、ジョンストンさんを支えてきたが本社マネージメントの仕事を退任したサットンさんは、リタイヤする前に当時組合問題などトラブルが起きていたJWTジャパンの立て直しに着任された。当時私はアカウントマネージメントの一員として主要アカウントのユニリーバを担当していた。

サットンさんが日本のマネージメント・チームを再編された結果、業務は順調に伸びていった。本社や主要クライアントとのサットンさんの交渉力と影響力は素晴らしかったと当時の幹部から伺っている。

ユニリーバとの仕事

1970年代に入るとユニリーバとの仕事が日本で本格化した。

ユニリーバ本社の会長と英国で仕事をし、竹馬の友ともいうべき強い絆のあるサットンさんのクライアントへの影響力は大きかった。彼の指導を得て、ユニリーバの仕事ができたことはユニリーバ立ち上げの困難な仕事を達成する大きな支えとなった。

お酒好き

お酒が好きだった彼のエピソードがある。

ロンドン時代は7時に出社し、薄い水割りを一杯やりながら新聞に目を通したという(彼から直接聞いた話だ)。しかしニューヨーク本社での要職をこなす時期の後半に、脳腫瘍の手術を受けた。医師からワイン一杯ならいいといわれたが一杯しか飲めないならときっぱり断酒したという(これも彼から直接聞いた話だ)。

ジョーク好き

また無類のジョーク好きで、東京時代もニューヨーク本社の役員会に出席すると必ず新しいジョークを仕入れて帰られた(ジョークを仕込む先を持っていたそうだ!)。

彼の妹さんはロンドン在住だったが、お会いした時、手術した時ジョークも一緒に摘出してくれればよかったのにとおっしゃったものだ!

本社出張の爲の東京―ニューヨークの往復のパンアメリカンのフライトは必ずファーストクラス。座席はC2番。一番前は壁があり嫌い!C2は通路側でスチュワーデスと会話(ジョーク!)をたのしむのに最適だったそうだ。

東京―ロンドンのフライトではモスクワ空港の免税店のナターシャという店員に、英語が通じないから絵解きのジョークで笑わせたそうだ。私もモスクワの免税店でナターシャに会ったことがあるが、すっぴんで愛嬌のあるおデブちゃんだった。

オグルビーさんの城

彼はまたO&Mの創設者デービッド・オグルビーさん(“ある広告マンの告白”の著者)とも親しかった。サットンさんによるとO&Mのオーナーであったオグルビーさんは引退後、フランスの城に住んだそうだ。

パリ好き

サットンさんは無類のパリ好き(最初の奥様との新婚旅行がパリだったと聞く)。

後年、東京オフィスで知り合った日本人女性と再婚し、仕事から身を引き、東京を離れたときも2年間パリに滞在した。

パリではシャンゼリゼ通りの凱旋門の近くのコンドミニアムに住まわれたが、仕事でパリに行った私もお住まいに泊めていただいた。

朝はシャンゼリゼの行きつけのカフェでクロワッサンとカフェオレ。凱旋門の裏手に住む富裕層の集まるパーティー(皆年寄りだったが!)に連れて行ってくれたり、フォンデュをご馳走になったり、シーフードのフレンチレストランに連れて行ってくれたり、ポンピドウセンターに家具の展覧会に行ったり、楽しい2泊3日だった。

この次はもっと余裕のある日程を組むようにといわれたが、パリのご夫妻の再訪は実現しなかった。サットンさんと一緒にお付き合いいただいたマキ夫人にも感謝している。

ふたたびロンドンへ

お二人はパリの二年間の滞在の後、ロンドン郊外で最終生活に入られた。

サー・ウインストン・チャーチルを敬愛したサットンさんは、チャーチルの住んだ城に近いワーウイック・シャー、ノースリンプストン・オンストアのウイリントンに落ち着かれた。プールを家に作り、マキ夫人と黒の大型犬と住んだ。近所のビレッジ・パブに良く出かけたそうだが、ジョークでパブ仲間を笑わす彼が目に浮かぶ!

象好き

サットンさんの象好きは有名だ。象は“Soft & Strong”だからだそうだ。優しくて力持ちということか。

ネクタイはいつも象の模様。東京オフィスでは執務室にペーパークラフトの大きな象の胸像の掛物が壁にあった。

サットンさんを”象のおじさん“と呼んだ私の娘も、彼の影響を受けたのか象が好きで、今でも上野動物園に象に会って会話するという!

余談になるが、私のロンドン赴任が決まるとサットンさんは当時私達が飼っていた雑種の和犬の“サム“を連れていけと、一人っ子の娘の生活にまで気を使っていただいた。

愛犬サムと娘はロンドンでも兄弟のように東京と変わらない生活が出来た。ありがたいことだった。

アカウントプランニングとの出会い

私は1970年代後半までユニリーバの仕事を中心に現場の仕事に従事していたが、その重圧と先が見えず曲がり角にいた私に、新しい方向の勉強をさせる目的で海外オフィスへ転出させてくれた。

ロンドンかシカゴということだったが、ロンドンオフィスでマネージメントの方々の面接を受けた結果、アカウントプランニングの仕事を奨められた。

これがアカウントプランニングとの出会いで、私にとって次の飛躍の大きな契機となった。サットンさんも大賛成だった。

今にして思うとシカゴに行っていれば、アカウントプランニングを経験することはなかった。サットンさんの支援なくして、私のその後のアカウントプランニングを中心としたJWTでの仕事は考えられない。

サットンさんから仕事だけでなく、英国人がどのように生活を楽しんでいるか学んで来いと言われた(英国人は生活を楽しむ達人だと言われた)。仕事で余裕のなかった私への暖かいアドバイスだった。

ロンドンでの経験は、その後の私の心身ともに糧となったことは言うまでもない。

サットンさんを偲ぶ

サットンさんは1995年12月9日に召天された。マキ夫人はその後もウイリントンで生活されていた。

サットンさん亡き後、JWTロンドンで“Tom Sutton Gathering(トム・サットンさんを偲ぶ会)”が持たれた。アメリカからニューヨーク本社でサットンさんとトップマネージメントを組んだCEOだったジョンストンさんも出席されて、サットンさんらしい多士済々の“サットンさんを偲ぶ会”となった。私も東京から参加して懐かしい方々にお会いできた。

ジョンストンさんにもお会いできた。サットンさんが引き合わせてくれたと感謝している。

サットンさんは私にとって仕事の上司であるのみならず、人生の指針をあたえてくれた恩師。正に象のように優しく、力強く大きな包容力で私を導いてくれた。

アカウントプランニングという仕事の機会を与えてくれ、英国での生活で人生のなんたるかを学ぶ機会をいただいた。そして私が必要とするときにいつもアドバイスを与えてくれるサットンさんがいた。

私はサットンさんというトップマネージメントから得難い教えを得た幸せ者だ。サットンさんありがとうございます。


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2020年9月13日 トム・サットンさんの思い出 〜JWTのマネージメント〜 はコメントを受け付けていません JWT