寒餅
少年時代を過ごした石川県七尾市の思い出は四季折々の催事と結びついている。とりわけ祭りが思い出深い。
七尾にいた小学生時代はたまに見る映画のほか、ラジオが毎日の娯楽の中心だった。楽しみな番組はたくさんあったが「二十の扉」、「三つの歌」、「とんち教室」、「笛吹童子」、「三太物語」花菱アチャコ、浪花千栄子の「お父さんはお人好し」、三木トリローの「日曜娯楽版」などが記憶に残る。(最も、大人は「君の名は」だ)
ラジオはTVと違いビジュアルがないから、小説と同じように聞き手の想像力を掻き立てる。
小学生時代は七尾で過ごした。
住んでいた木町(きまち)の家の前に通称「角七」(かくしち)という蔵元があった。杉玉が吊るされていて、広い入り口を入ると右側に帳場があり、左側は洗瓶場などがあったと記憶している。突き当り右奥に広い庭があり、よく大きな樽が干してあった。
一つ年上の息子さん(坊やと呼んでいた)とよく遊んだが酒の匂いのする「角七」で遊ぶのが好きだった。
酒が仕込まれるといい匂いが近所にたちこめはじめる。絞り終わると薄い板の様にのした酒粕を近所に配られ、その晩はどこの家も粕汁。私は小さく切った酒粕をそのまま食べるのが好きだった。
石川県七尾市はアマチュアの野球が盛んだった。父が「尾湾倶楽部(びわん くらぶ)」という七尾市内の野球好きの有志で作っていたクラブチームに深く係っていた関係で小さい時から野球をして遊んだ。
「尾湾倶楽部」と磐城セメント七尾工場のチームとは好敵手同士で町の野球好きが二派に分かれて応援した。もちろん私は尾湾倶楽部の応援をした。
七尾の御祓(みそぎ)小学校から御祓中学に進み野球部に入部した。当時御祓中学は石川県下一、二を争う野球が強い学校だった。上級生の練習は厳しく、下級生は玉拾い!といった感じでいきなり大人の世界に放り込まれたような気持ちになった。朝早く、バットの素振りをし、壁にボールを投げ、1人で朝練をし、いつかレギュラーになり、県大会に出るつもりでいた。
七尾にいた少年時代、母が洋画ファンだったこともあり洋画の思い出が強い。
母に連れられて映画に行くのが楽しみだった。
初めて見たカラー映画はロシア映画で「石の花」。モノクロの画面に着色したような画面だった。
本格的なカラー映画は5歳ころに観た「小鹿物語」、覚えている筋はグレゴリー・ペック扮する父親が森で毒蛇に咬まれ、その解毒のために母鹿を殺してその肉を応急手当に使う。
その時父親と一緒だった息子は死んだ母鹿といた小鹿を忘れられず父に家で飼う許しを得て森に探しにいく。草むらを分けてそこに座っている小鹿(原題”The Yearling”)を見つける。グリーンの中に座っている小鹿の美しさは強烈な印象だった。