浅草六区(ロック)
雷門通りを田原町に向かって歩くと、国際通りに出る手前にすしや通りがある。すしや通りが新仲見世通りと交差するところから六区ブロードウエイと呼ぶが、ここから突き当りのひさご通り入り口までが六区興行街だった。1955年頃にはこの六区興行街に国際劇場を加えると実に23軒もの映画館、劇場、演芸場があった。興行のメッカだった当時から、現在六区に残っているのは浅草演芸ホールと東洋館、ロック座、奥山通りにある木馬館だ。
雷門通りを田原町に向かって歩くと、国際通りに出る手前にすしや通りがある。すしや通りが新仲見世通りと交差するところから六区ブロードウエイと呼ぶが、ここから突き当りのひさご通り入り口までが六区興行街だった。1955年頃にはこの六区興行街に国際劇場を加えると実に23軒もの映画館、劇場、演芸場があった。興行のメッカだった当時から、現在六区に残っているのは浅草演芸ホールと東洋館、ロック座、奥山通りにある木馬館だ。
石川県七尾市の愛宕山相撲場を見下ろす高台に七尾市公会堂があった。公会堂正面の前に衆議員議員だった大森玉木氏の銅像が立っていた。私が子供の頃は衆院議員だった大森玉木氏と益谷秀次氏が能登を代表する政治家だった。益谷秀次氏は衆議院議長を務めた。
大森玉木氏は興行に力を入れていて、東京・浅草で「玉木座」という芝居小屋を持っていたそうだ。