アカウントマネジメント部への配属
JWT入社後研修も終わり、アカウントマネジメント部(当時はアカウントリプレゼンタティブ部)に配属になった。
当初は海外(主にアメリカ)から依頼された広告(コレポンアカウントと言われた手紙でやり取りする仕事)や長瀬産業コダック製品部のノンアマチュア製品の仕事を担当した。
手紙・テレックスのやり取りで扱う仕事はマクダネル・ダグラス、チャンピオン・スパークプラグ、USタバコアソシエーツといった扱い額は小さな仕事だった。また、長瀬産業の仕事はコダックの印刷用製品、X-Ray製品、フォトファブリケーション製品といった特殊な分野の業界広告だった。
地味な仕事だったが手紙やテレックス(ファックスはまだ無かった!)のやり取りは英語力をつけるのに役立ったし、英語の広告用語の知識も増えた。また、コダックの仕事はプロ用のフィルムや印刷知識などを学び、後の仕事の為の知見ができた。
ユニリーバの仕事は私のキャリア開発の軸となった。1970年代に入ってユニリーバ(当時は豊年リーバ)は本格的に日本市場でヘアケア製品分野に進出する事になった。
私は当時のオフィスマネージャーのトム・サットンさんからユニリーバの特別プロジェクトを担当するように言われた。日本市場に初めて導入するサンシルクシャンプーとリンスの開発だった。
ベーレンズさんとの仕事
それからは三番町のオフィスに出社すると、オフィスから徒歩10分のところにあった麹町の豊年リーバ社で仕事をすることになった。
ドイツのエリーダ社(ユニリーバのパーソナルプロダクト製品部門の会社)から赴任されたマーケティングディレクターのヒンリッヒ・ベーレンズさんの下で、サンシルクの開発プロジェクトをアシストした。
毎朝、クライアントのオフィスに伺うとベーレンズさんは既に仕事にとりかかっていた。待ち構えていたように彼は「Wie geht es?」(ごきげんようという意味だが、2人の毎日のやりとりでは「元気?」ぐらいの挨拶)と。私も「Gut, danke!」(元気です。ありがとうございます。)と答え一日が始まったものだった。
製品コンセプト
サンシルクの製品コンセプトは、
- ヘアタイプ別のシャンプーとリンス
- 各ヘアタイプのニーズに合った自然成分
- 製品のカラーは各自然成分を表す
- エンドベネフィットは自然な髪の美しさ
当時はまだアカウントマネジメントからアカウントプランニングが独立していなかったから、私はほぼブランドマネジャーの様に働き、クリエイティブに必要な仕事をブリーフした。
消費者調査の結果、ヨーロッパではヘアタイプはドライな髪とオイリーな髪というとらえ方なのに対して、日本の女性はかたい髪と柔らかい髪というヘアタイプの考え方だった。
かたい髪用、ふつうの髪用、柔らかい髪用の製品開発が始まった。
個々のヘアタイプには個別のニーズがある。調査の結果からかたい髪、やわらかい髪、かたくもなくやわらかくもないふつうの髪と一つ一つのヘアタイプ固有のニーズを特定していった。
例えばかたい髪には髪をしなやかにし整えやすくする。やわらかい髪にはもっと張りを持たせる、といった製品機能を満たす自然の成分を配合するというブリーフを製品開発チームに説明した。
自然の成分はエンドベネフィットの自然な髪の美しさと結びつく。製品テストを重ねて、かたい髪にはオリーブオイル、やわらかい髪には海藻エキス、ふつうの髪には卵黄レシチンを配合させることになった。
サンシルクのシャンプーとリンス
現在はほとんどのシャンプーブランドが同一ブランドでシャンプーとリンス(コンディショナー)を揃えているが1974年にサンシルクが発売されるまで日本ではシャンプーとリンスを同じブランドで販売しているものはなかった。
サンシルクはかたい髪用、やわらかい髪用、ふつうの髪用個々のヘアタイプに合ったシャンプーとリンスを初めて導入したブランドだ。
ちなみに「トリートメント」という製品を開発したのもサンシルクが初めてだった。
あなたのヘアタイプは?
ターゲットの女性に自分のヘアタイプに合ったサンシルクを使ってもらうことが大切。自分のヘアタイプを考えてもらう必要があった。美しい髪はヘアタイプを知ることから始まるという新しいアイデアを訴え自分はどのヘアタイプのサンシルクを試そうかと消費者に思ってもらえればよかった。
「髪の話」というヘアケアの小冊子をつくり、ヘアタイプを店頭で自己診断できるようにした。今ならメディアミックスはもっと効果的なやり方のエデュケーショナルなアプローチがあったと思う。
インターナショナルキャンペーンと日本の広告
ヘアタイプをリマインドし、自分のサンシルクを見つけることが自然な美しい髪を得る秘訣ということを提案する広告を開発することになった。
まずナチュラルビューティーをテーマにしたインターナショナルのクリエイティブの日本版を試作した。まずはインターナショナルの広告の効果を確認する必要があったからだ。
自然の中を歩む女性と、彼女の美しい髪に焦点をあてた詩的な表現だった。しかし、テスト結果は満足のいくものではなかった。
自分の髪に最もふさわしいシャンプーとリンスだと思わせるアイデアが必要だった。日本の女性にヘアタイプを考えてもらい、自分のニーズにあったサンシルクを見つけてもらうにはもっと強い提案型の表現が求められた。
あなたはどのサンシルク?
ベーレンズ氏と話し合いを繰り返し、クリエイティブと開発したのがヘアタイプ別にパーソナリティーを立てて、自分のヘアニーズと自分のサンシルクを語ってもらい、ターゲットに「あなたはどのサンシルク?」と呼びかけるものだった。
かたい髪の水沢アキさん、やわらかい髪のあべ静江さん、そしてふつうの髪の倍賞千恵子さんがリップシンクロ(同録)で自らの髪のニーズと自分用のサンシルクについて語った広告は斬新で生き生きとしたものだった。
1974年、新発売に先がけて行われた卸店様を招待してのサンシルクの発表会は大盛況!東京のトレードカンファレンスは3人のセレブリティーも出席し盛り上がった。主要卸店の社長が倍賞さんとダンスを踊り喝采をうけた。ベーレンズさんは満足げに私にウィンクした。
ベーレンズさんはサンシルクの成功を確信していた。TBSの木曜日夜のゴールデンタイムの「木曜座」という番組のスポンサーを提案した。大変な投資だったが、即OK。サンシルクの広告は全国ネットの波に乗った。「愛の水中花」という番組のテーマ曲がなつかしい。
サンシルクは見事に離陸し、所定の成果をあげた。かたい髪、やわらかい髪、ふつうの髪という三人三様の美しい、サニーでシルキーな髪のサンシルクの広告は新しいヘアケアのアイデアを提供した。
ベーレンズさんは故郷のハンブルグでリタイヤされた。「Behrends-san, Wie geht es?」(ベーレンズさん、お元気ですか?)もちろん「Gut!」ですよね。「Behrends-san, Danke sehr!」(ベーレンズさん、ありがとう!)
その後、1980年代に入り「朝シャンブーム」が起きて、1984年にユニリーバは大ブレークすることになる。