サラメシの思い出

オイスターバー&レストランのメニュー

サラメシのバイイングシステム

NHK TVの人気番組「サラメシ」は働く人のお昼ごはんを中井貴一が紹介する楽しいプログラムだ。サラメシのバイイングシステムはこの番組から学ぶことが多い。

サラメシのバイイングシステムはまず家庭で弁当を作る人とお昼にそれを食べる人が想定される。作る人は毎朝準備するか一週間分おかずをまとめて準備するなど内容はいろいろだ。愛妻弁当もあれば、自分で準備するひともいる。今日は何かなと弁当を開ける楽しみは幸せいっぱいだ。また社員食堂でのランチは献立が決められたランチと言えるが日替わりがあって楽しいものだ。

というわけで昼が来るとサラメシを食べるバイイングシステムがスタートする。お昼の予算内で外食をする人はいくつかの好みの昼食のレパートリーを持っていて今日はあそこにしようという人もいればまた、好みの行きつけの店があって一品決まったものを食べる人もいる。コンビニで選び買う人もある。バイイングシステムで言えば、いわゆる「考える」ステージだ。

JWTのプランニングの土台になる消費者のバイイングシステムは購買行動を掘り下げて問題点や機会をあぶりだすのに力を発揮した。バイイングシステムについては別の章で既に説明しているので、バイイングシステムを深掘りすることは避けてJWT時代を中心に私のサラメシの思い出を辿ってみたい。

若き日の三番町時代のサラメシ

1966年にJWTに入社して訓練生だった当時、お昼は母が作ってくれた弁当を食べていた。ご飯の上におかかと海苔を敷いたドカベン!サケ、卵焼き、ソーセージなどがおかずの定番だった。一年経って、配属されたAR(いわゆるAE・営業)では仕事柄、仲間と外食するようになって、母は弁当作りから解放された。

三番町での外食はいくつかある好みのレパートリーから行き先を選び、仲間と仕事やうわさ話をしながら食べたものだ。近くに九段の花柳界があって、気の利いた、お店が和洋いろいろあった。粋な女将が割烹着姿で接客した蕎麦屋の「田毎」、スタンド洋食「月村」の鉄板焼きに人気があった。

時にはちょっと贅沢にと、仲間とタクシーに分乗し、竹橋のパレスサイドビルにあった函館の料理屋が出店した北海道料理店の昼限定の定食を食べに行った。ホッケの開きかニシンの焼き魚に石狩汁と香の物の定食。ホッケは当時、東京では珍しく函館からの新鮮なホッケはおいしかった!

夜は料理屋。北海道の珍味がいっぱいあったはずだが若い私達には高嶺の花だった。

高輪のサラメシ

JWTは1970年に港区高輪の魚籃坂に建てたオフィスに移った。昼食は土地柄庶民的になった。古川橋の近くにあったカウンターだけ、10人も入ればいっぱいの「大宝」というラーメン屋によく行った。親父さんの作るモヤシそばとタンメンは逸品だった。懐かしい味だ。昼時はいっぱいの客で席を空くのを待つ人が列を作ったものだ。

ゆっくりしたいときはホテル高輪の中華飯店に。おいしい五目そばがオプションだった。

ちょっと足を延ばして白金台の中華飯店聚寳園(シュウホウエン)。中華民国大使館の料理長だったシェフが作る料理は最高。お昼に食べた、高菜そばやフカヒレそば絶品だった。もう店をたたんだため今はもう食べられない思い出の味だ。余談だが日本を代表する映画俳優が贔屓の店で二階の個室は夜、彼が貸切ることが多かったそうだ。

恵比寿のYGPのサラメシ

JWTが恵比寿のYGPに移るころからマネージメントの仕事柄なかなか外食ができなくなってしまった。YGPの一階や30階にレストランがあったが、ウエスティンホテル恵比寿の広東料理「竜天門」が記憶にあるくらいだ。フレンチレストランのロブションにもクライアントとの会食で何度か行ったが豪華な作りに目を奪われたのか肝心のフランス料理はあまり思い出がない。

クライアントとのビジネス・ランチ

接待の意味合いがあって、贅沢なビジネス・ランチは洋食が多かった。1970年代の典型的なメニューはマティーニ・オンザロックを食前酒に飲み、前菜はケッパーが添えられたスモークドサーモンにレモンを絞り、食べる。メインはローストビーフ。

仕事の話を挟み、いつか気持ちはマディソン・アベニューUSAの広告マンを描いた「MADMAN」気取りだった。最も本場のエグゼクティブのビジネスランチは当時マティーニだけだという話を聞いたことがある!広告マンは長生きしないといわれた!もっともだと頷ける逸話だ。

ローストビーフはパレスホテルのローストビーフも良かったが旧東京ヒルトンホテルに在ったケヤキ・グリルが一番だと思う。本場ロンドンのシンプソンが有名だったがケヤキ・グリルのローストビーフが上だ。肉が違うのかともかくおいしかった。

JWTロンドンのサラメシの思い出

1980年~1981年の二年間ロンドンオフィスに派遣された。当時、ロンドンは広告業界は最盛期。JWTはそのリーダーとして素晴らしい広告を作っていた。素晴らしいクリエイティブ作品を目の当たりにした幸せな時間だった。さて、ロンドンオフィスのサラメシを振り返りたい。

オフィスの一階に「コマドール(Commadore:提督)」という社員食堂兼バーがあった。コマドールはJWT創業者のJames Walter Thompsonが南北戦争でサラトガという軍艦に仕え、提督だったことにちなんでいる。(JWTは南北戦争時に創立されている!)

昼時はコマドールに社員が列をなす。安くておいしかった。ランチメニューは日替わりのホットミールメニューのほかサラダやフレッシュチェダーチーズ、ブルーブリーチーズやヤギのコッツウォルドチーズ(ハーブ入り)とライブレッドなどがあった。

ホットメニューは日替わりで楽しみだったがキッシュやシェパードパイなどがおいしかった。よく生のカリフラワーのサラダがメニューにあって私は初めて食べた。以来、生のカリフラワーは今日でも好物でよく食べる。美味しい!

ランチタイムはホットミールの時はビターのハーフパイントかコールドミールの時はコッツウォルドチーズとライブレッドにホワイトワインを一杯だけ。カリフラワーのサラダのある日は追加になる。午後眠くなると困るので・・・

3時にティータイムがあり、夕方にまたコマドールか行きつけのパブへ。

彼らの楽しみ方には付き合いきれなかった。正直いつ仕事するんか?と思ったほどだ。

オフィスのあったバークレースクエア界隈に好きなレストランがいくつかあった。「ギニー(Guinea)」はステーキとアーティーチョークがおいしいレストラン。ここで初めてアーティーチョークを食べた。ボイルして冷たく冷やしたアーティーチョークはおいしかった。

「ブルーフォックス(Blue Fox)」は少し贅沢な雰囲気のレストラン。しかし私は、飾らないギニー(Guinea)の方が好きだった。迷うことなくアーティーチョークとステーキだ。

サラメシではないがハロッズのレストランやフォートナム・メイソンのレストランのランチとグロブナーハウスのラウンジのハイティーはとても雰囲気が良く好きだった。

パリのサラメシの思い出

初めてパリに行ったのはアムステルダムのセミナーの後1974年のことだ。ブラッセルに出張していたJWT東京のオフィスマネージャーで上司だったモリソン氏が会いに来てくれた。パリオフィスの支配人のヤーネル氏とランチしたが初めてホワイトアスパラガスを戴いた。冷えたたっぷりのホワイトアスパラガスと白ワインがとてもおいしかった。屋外の陽だまりのテーブルでの思い出のランチ。トレビアン!

ニューヨークでの思い出のレストラン

初めてのニューヨークは1974年。アムステルダムのセミナーからパリに回ったあとサットンさんが手配してくれた。本社の入っていたビルはグランドセントラル・ステーションの上にあった。

受付の柱は世界各国の新聞の鉛の刷版が巻かれていて世界最大の広告代理店を表現していた。オフィスのエグゼクティブ用のレストランは「ニューイングランド(New England)」といい、格調高いマホガニーで装飾されていた。ビジターとしてここで食事できたのは光栄だった。古き良き時代のJWTの思い出だ。

一階にはシーフード・レストランの「オイスターバー&レストラン(Oyster Bar & Restaurant)」があり、フルトン・マーケットからの新鮮な魚介類が食べられた。氷を敷き詰めたプレートいっぱいに盛られたオイスター、ウニ、貝づくしと白ワインで満腹になり魚やロブスターやカニは食べなかった。料理の量が多いからグループで楽しむべきだ。

1980年代後半になるとニューヨーク本社への出張が増えた。レキシントン・アベニューの新しいJWTオフィスにはあの格調高い風格はなくなっていた。別のブランドに変わろうとしたのだろうかその後のJWTの行く先を予感するようでいい気持ちはしなかった。

一階に「初花」という寿司屋があり人気があった。ボストン沖で獲れるマグロがおいしかった。トロより赤身が好きだった。

ニューヨークと言えばステーキ!ニューヨークらしい熟成した厚手の肉が豪快に焼かれて出される。圧倒的なボリューム!三分の一も食べれば満腹。

ステーキハウスといえばマンハッタンの「スミス&ウオレンスキー(Smith & Wollensky)」が有名な老舗だ。店頭でリムジンから降りようとして暗殺されたマフィアのボスの写真が店内に飾られていた!ここは映画やドラマでも登場したから知っている人も多い。ニューヨークらしい熟成肉の大きなステーキが焼かれて出てくる。食べきれない大きさだ。

もっとカジュアルにステーキを食べられ寛げるのが二番街にあった「Palmパーム」だ。ウエイターの柄があまり良くないがおいしいステーキハウスだった。ここのリブステーキが好きだった。のんびりとくつろいで食べたものだ。

和食のレストランは42丁目にあった「Eastイースト」。店を入ると大きな炉端がある。炉端を円形の囲みカウンター客が座り、シェフが中で肉、えびなどの海鮮や野菜を客の注文で焼いて出す。奥にはテーブルで天ぷらやすしを食べさせるようになっているがここは炉端焼きがおいしく好きだった。炉端焼きというと、海鮮のイメージが強いが焼きたての肉がおいしい。

そろそろ満腹になったかと思うのでロサンゼルスやサンフランシスコやミネアポリスの思い出はまた別の機会にする。


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2022年1月30日 サラメシの思い出 はコメントを受け付けていません JWT