アカウント・プランニングとの出会い
ドン・ジョンストンさんとトム・サットンさんという二人のコーポレートオフィサーの下で仕事ができたのは大変得難い経験で幸運だった。
サットンさんからは私にJWTロンドンで働く機会を与えてもらい、アカウント・プランニングという新しい仕事を学ぶことができた。私がこの新しい仕事に進むことができたのはサットンさんのおかげだった。
1981年に帰国し、ロンドンで経験したアカウント・プランニングの仕事を立ち上げる準備に入ったがJWT東京の新しい“武器”としてアカウント・プランニング機能を設立するのはたやすいことではなかった。
アカウント・プランニング機能の考えを社内に広めて、アカウント・プランニング設立の準備に入れたのはその数年後の1983年だった。JWTロンドンでの経験をもとにロンドンのアカウント・プランニングの組織と機能を念頭に置き、JWT東京の改革の要となるアカウント・プランニングを設立するにはいくつかの重要な課題があった。
アカウント・プランニング設立課題
アカウント・プランナーの育成
古い広告手法を捨て、前例にとらわれず、消費者のインサイトに基づくユニークな視点を持って戦略を立案する若いプランナーを採用し、育成する必要があった。アカウント・プランナーとなる新しい人材を外部より採用する必要があった。
これまでの手法や前例にとらわれず新しい仕事に取り組むことがなによりも大切だった。
シングルソース・データベース
アカウント・プランナーの武器として駆使できるシングルソースのデータベースを独自に開発し、運用することが不可欠だった。
ロンドンではアカウント・プランニング・インデックス(API)というデータベースがサブスクリプションベースで各エージェンシーが購読できた。各エージェンシーのプランナーはそのデータベースを使いこなしインサイトフルな視点を取り出しクリエイティブな広告戦略を競い合う環境だった。
当時日本に主要な製品、サービス等のカテゴリーを網羅した消費・購買行動や態度がクロスできる包括的なシングルソースのデータベースは存在しなかった。
自前でそうした包括的なデータベースを開発するには大きな予算が必要であった。しかも定期的にアップデートしていけなければならなかった。
定性調査の機能
プランナーが必要に応じて消費者の態度を分析し、有望なインサイトを検証できる定性調査の機能を社内に持つ必要があった。
ロンドンオフィスにはクリエイティブ・リサーチと呼ばれる定性調査のユニットがありアカウントプランナーのニーズに対応していた。定性調査が消費者の行動や態度を把握し、インサイトを探ることが大切であることを実感した。
外部の優秀な定性調査の専門家を採用し、社内に調査を実査し、結果を検証できる機能を持つ必要があった。
Thompson Way
JWTにはThompson Way というこれまで培ってきた広告の考え方、原則を総括したプランニング・ガイドがある。最高のプランニングの骨組みだ。
アカウントプランナーはじめアカウント・マネージメント、クリエイティブ、メディア・プランナーがワークショップを通じ学習し、共通のプランニング・ツールとして理解させる必要があった。現業部門の主要スタッフを早急に教育しなければならなかった。
ドン・トンプソンさんとノーマン・マクマスターさん
JWT東京の規模からいってたいへん大きな投資と、批判的な人たちの社内の抵抗に打ち勝つための努力が必要だった。トップ・マネージメントの強い支援なくして課題達成はできなかった。
この時期にアジア・太平洋地区を統括するディレクターであったドン・トンプソンさん(Donald F. Thompson)がJWT東京の停滞している状況を打破するために、新しいオフィスマネージャーとして外部よりノーマン・マクマスター(Norman MacMaster)さんを採用し、送りこまれた。トンプソンさんの方針をうけ、マクマスターさんは“改革”を推し進めた。
JWT東京の改革の核となったストラテジック・プランニングと課題
アカウント・プランニング機能の開発と実践はその中心となった。マクマスターさんの意見でアカウント・プランニングはストラテジック・プランニング(戦略プランニング)と呼ぶことになった。より広い戦略的プランニングを志向する意味合いが込められていた。
批判的な意見を払拭するためにも、若い有能なアカウント・プランナーを中心に改革は進められていった。彼らには問題を整理し、簡潔にする能力が求められた。新聞のヘッドラインを読めば全体像を把握できるといったように物事の核心をつく、ジャーナリスティックな資質や旧態依然な考えにとらわれず斬新な視点を追求するクリエイティブな思考がプランナーに求められた。
当時人件費削減の方向にあった状況で、人材を集めるための予算を獲得することはトップ・マネージメントの保証なしでは不可能だった。
また、プランナーを支援するデータベースの開発と定性調査機能を持つことは、JWTを差別化するために不可欠と信じたが、膨大な予算が必要だった。
マクマスターさんのコミットメント
マクマスターさんは着任した翌年の予算に先行投資として人材、データーベース、定性調査、そして新しいプランニングガイドのThompson Wayをスタッフに教育するワークショップを二年間に渡り実施する予算を確保してくれた。
ドン・トンプソンさんをバックストップとしてマクマスターさんが推し進めてくれた改革の方針の下に、私たちのアカウント・プランニングのユニークな機能は戦略プランニング(ストラテジック・プランニング)として実現していった。
ストラテジック・プランニングの成果
ニュービジネスの獲得
ストラテジック・プランナーとデータベースを駆使した新しい広告戦略を基にした広告提案は、競合プレゼンテーションに勝利していった。HアイスクリームやE石油などの大きなクライアントを獲得した。
マクマスターさんは一言「投資はペイした!」といわれた。成果を見込んで投資してくれていたのだ。私達を信頼してくれた事がうれしかった。
シングルソース・データベース
シングルソースのデータベースは一人の消費者の購買活動・態度、ライフスタイルや価値観、そして媒体情報すべてをクロスさせシングルソースの資料として検証することができる。クリエイティブなサイコグラフィック・セグメンテーションを可能にしたがインサイトフルな戦略によって斬新なクリエイティブアイデアが開発されていった。このシングルソース・データベースはJWTコンシューマーダイナミックス・スタディー(CDS)と名付けられた。
CDSの開発にはマーケティングの優れた視点をもつ調査企画の専門家がいなければならない。データベースの設計、調査企画と実施を外部大手調査会社と作り上げ、私達を支えてくれた大倉光雄さんのことをここで取り上げ感謝したい。
大倉さんは大手製薬会社からJWTの媒体調査プランニングを担当するマネージャーとして入社し、ストラテジック・プランニングの立ち上げに参加していただいた。
大倉さんはデータベースの必要性を早くから主張されていたが、マクマスターさんの予算付けを得て実現していった。調査会社とアカウント・プランナーが合同でワークショップを積み重ねて調査内容を設計していった。大倉さんの知見とリーダシップそしてアカウント・プランナーと協業した調査会社の支援を得なくしてCDSは実現しなかった。
定性調査の機能
ロンドンオフィスにならい、社内に定性調査機能を持つことはプランナーはじめアカウントチームに消費者のインサイトを探り、広告コンセプトを必要に応じていつでも定性的に検証し即、結果をフィードバックすることが重要だった。外部調査ではこのスピード感は期待できない。
Q-Searchと名付けられた定性調査機能は広告開発プロセスで威力を発揮した。QはQuestion(質問に応えて)Quick(早く)糸口を提供するという思いが込められていた。また検証することの重要性から調査要請の行列(Queueキュー)が出来ればという望みも込められていた。既存クライアントそして新規ビジネスに質の高い情報を提供して期待に応えることができた。
Thompson Wayのワークショップ
戦略プランニングの主導で主要部門のスタッフを対象としたワークショップを実施した。講義とグループ・ワークを中心として指名された社員が参加した。オフィスを離れ、ワークショップに集中できる環境で行われた。アカウント・プランナーと講師の私達が一番理解を深めたことはいうまでもない。
ワークショップは4~5グループで行われ、二年間で終了した。JWT東京でThompson Wayは標準化し運用されていった。アジア・太平洋地域では東京オフィスが一番先端を切ってアカウント・プランニングとトンプソン・ウエイの考えが定着していったが、ドン・トンプソンさんはトンプソンウエイのワークショップをアジア・太平洋地域の共通のプランニングガイドとすることを決め、“James Web Young Seminar”として各国のJWTの若いアカウントマネージメント、クリエイティブ、そしてメディアプランナー等を参加させ、インターナショナルなワークショップを推し進めていった。
私も講師の一人として参加した。東京からの参加者がワークショップをリードしているのを見て東京からの仲間を誇りに思った。
特別分析(Proprietary Study)
ストラテジック・プランニングはアカウント関連の仕事だけでなく、特別分析(Proprietary Study)と名付けた新しい仕事を手掛けることを通し、対外的にJWTの存在をアピールできるようマクマスターさんは私達に話題作りをするよう奨励された。
特別分析は幅広い話題からとりあげられた。
【花王の分析】花王のビジネス原則・マーケティング原則・広告原則を研究したプレゼンテーション。ユニリーバのクライアントのみならず日本の大手メーカーの考え方の好例として海外でも参考にされた。
【Moving Target(副題:きもの革命)】働くことの価値観をベースにした日本女性のサイコグラフィック・セグメンテーション。女性の新しい消費者像として新しいニーズの糸口として既存クライアントのみならずニュービジネス獲得のためのアプローチの参考にされた。
【フリッパー現象】リモコンの普及による消費者の視聴パターンの変化と対策。フリッピングして一度に数チャンネルの放送を視聴したり、コマーシャルをザッピング(抹消したり)する現象が起きた。リモコンによる視聴者の視聴行動を問題として取り上げた。在京TVキー局でも重大な問題として取り上げられたという。
その後もこうした特別分析の努力は続けられた。こうしてストラテジック・プランニング機能はトップマネージメントの理解と強い支持を得て発展していった。
日本で初めてストラテジック・プランニングを導入したのは私達、JWTだったがその成果に注目したのが電通と博報堂だった。彼らは私達がストラテジック・プランニングをスタートさせた2年後に電通はアカウント・プランニング、博報堂は戦略プランニングを各々スタートさせた。“ストプラ”は業界用語になった!
その後のドン・トンプソンさんとマクマスターさん
ドン・トンプソンさん(Donald F. Thompson)は私が1966年に入社した時のアカウントマネージメントのトップでジョンストンさんと仕事をされた。当時ロンドンに本社があるデビアスの仕事を獲得することが英国人であるトンプソンさんの大きな取り組みだった。
1963年から始まった消費者調査に基づいて日本におけるダイアモンドの女性取得率をあげることが課題だったデビアス社に、JWTはダイアモンド婚約指輪のキャンペーンを提案しデビアスのアカウントを獲得した。1966年のアカウント獲得のことが忘れられない。
ドン・トンプソンさんは英国人で若いころ美術を志したこともあったという物静かなジョンブルだ。当時の日本の一流のカメラマンたちを使い、撮影された婚約指輪の雑誌広告のシリーズは“ダイアモンドは永遠の輝き”というスローガンを訴える夢のある詩的で美しいキャンペーンだった。当時ダイヤモンドの婚約指輪の取得率は3%だったが継続した広告努力で1980年代には60%を超えた。JWTのサクセスストーリーだ。
立上りのキャンペーンをてがけたトンプソンさんは東京からロンドンに戻られたが、低迷していたJWTパリの立て直しを図ったのち、JWTニューヨーク本社に戻り、ジョンストンさんに請われてアジア・太平洋地区担当の統括ディレクターという要職に就かれた。この仕事を引き受けたトンプソンさんには東京に特別の思いがあったに違いない。
マクマスターさんと一緒に八芳園で会食できたのが楽しい思い出だ。ドン・トンプソンさんは1990年代初めにリタイヤされ、フランス人の奥様と南仏の観光地、サン・トロぺで余生を過ごされている。
マクマスターさんは東京での4年の任期を終えられ、1990年にJWTニューヨーク本社に戻られ主要クライアントのケロッグのグローバル・ビジネスを統括された。私は1992年にJWTを離れたが1996年にニューヨークを訪問した際、昼食を共にしたときが懐かしい思い出だ。アイルランド系アメリカ人の彼はグリーンのインクのクロスのボールペンを使い(グリーンはアイリッシュのカラー)ワイシャツはボタンダウン!
ストイックで毎日のジョギングを欠かさず、小柄ながらスリムな彼がなつかしい。多くのクライアントが彼は約束したことは必ず実行してくれたと彼を評価し、信頼を寄せていた。
マクマスターさんは現在ニューヨークに住まわれ、コンサルタントのお仕事をされているという。
マクマスターさん、お世話になりました。私達を導いてくださったご恩は一生忘れません。いつまでもお元気でご活躍ください。