寒餅
少年時代を過ごした石川県七尾市の思い出は四季折々の催事と結びついている。とりわけ祭りが思い出深い。
お正月が過ぎるともう一度、寒餅と言って餅つきがある。つき上げた餅は切り昆布、炒った大豆、砂糖の入った食紅やクチナシ、甘茶などが餅に混ぜられ、ナマコ状の餅になる。もち切り器でかき餅の形に切り分けられて藁を編んだ紐に餅を編み込み、吊るして干す。
おいで祭り
3月末に羽咋一宮(はくいいちのみや)の気多(けた)大社から七尾の気多本宮にご神馬と神輿が来る「おいで祭り」がある。(汽車で一時間位の距離だが一日がかりの行程だったのではと思う。)お神輿が着くとかき餅を降ろす。
この日が待ち遠しかった。子供の頃の楽しみな催事だった。乾燥したかき餅が降ろされると火鉢でかき餅を焼き食べる。砂糖の入ったかき餅は焼くと大きくなったがそれよりも香ばしい豆餅と昆布の入ったかき餅が好きだった。我慢してかき餅を食べる日を待つというしつけは子供には大切なことと思う。
ちょんこ山
「おいで祭り」が終わり4月。遅い春が来ると七尾の西部地域六町で「ちょんこ山」(ちいさい山の意味)という曳山祭りが行われる。曳山1基にひとつの人形が載せられ旧市内を巡行する。曳山のある町内は子供会が中心となり祭りまで笛、太鼓、唄の練習をしたものだ。「ちょんこ山」は4月13、14日だったが今は13日、14日に近い土日に行われているそうだ。
でか山
この祭りが終わるといよいよ五月のゴールデン・ウイークに七尾の祭りのメーンイベント、「でか山」(正式には青柏祭)がある。江戸時代から続く「でか山」は市内の鍛冶町、府中町、魚町の三町がそれぞれ高さ12メートル、重さ20トンの曳山を5月3、4、5の3日間七尾市内を引き回す勇壮な祭りだ。
直径2メートル以上ある車輪は子供の頃は怖かった。山車は元々江戸時代の船大工が作ったもので、すべてが藤蔓(ふじづる)で絞められて固定され、釘は使われていない!(今では藤蔓が手に入りにくくなり、ロープで代用されている山車もあるようだ)
5人の木遣り衆の引き出し唄と采(ざいという木遣り)に引き手が力を合わせて曳き始める。2メートルもの車輪が回り出し、でか山の巨体が動き出す!
七尾の旧市内は狭く「でか山」巡行の道は山車の邪魔になる電線はないが道幅は山車の幅ぎりぎりで後見人、その指示で動く梃子(てこ)役はたいへんだ。小梃子(こでこ)をかませ、動いている山車の進行方向を修正する役や完全に停止させる梃子をかける役の若い衆は命がけの役割だ!
家並みぎりぎりの塗師町(ぬしまち)や御祓川(みそぎがわ)に架かる仙対橋(せんたいばし)での辻回しは圧巻だ!辻回しは前輪を大勢の若い衆が乗った8メートルある大梃子(おおてこ)で若連中が鈴なりに乗って前輪を浮かせ、山車の中の横向きの回転用の地車という車輪を降ろして前輪を浮かせたままで辻を回す。地車に車軸を入れる仕組みは昔の船大工の傑作だと思う!
人形見
「ちょんこ山」にも「でか山」にも祭りの前日の夜、人形見(にんぎょうみ)がある。当番町の家でその年の人形を観客に披露する。「ちょんこ山」の人形は当番町ごとに決まっていて毎年変わらない。木町は恵比寿、米町は大黒、阿良町は神功皇后、一本杉町の楠正成、亀山町の住吉明神、そして生駒町の藤原鎌足だ。
一方、「でか山」は鍛冶町、府中町、魚町で各々三体がその年選ばれた故事にもとづき準備される。(出し物は歴史上の故事を題材にしたものが多い)
人形宿に明かりが灯り、座敷には屏風、生け花で飾られて披露されている人形を観てまわる。家族、友人と楽しんだが、子供にはその年の人形の話がわからないものもあった。
酒
祭りに酒はつきものだ。「でか山」の横にはバケツに入った清酒の一升瓶が下げられ、若い衆が回し飲みしながら景気付けし山車を仕切る。祇園祭のような雅、洗練された美しさはないが港町の豪快で大らかな気風と、ち密に計算された船大工の考えた山車の構造と運行の仕組みはすばらしいものだ。
七尾まだら
「でか山」は最終日の夜、各当番町に帰っていく。祭りの終わりに唄う「七尾まだら」(納めまだらという)が祭りの終わりと翌年の再会を約し唄われる。子供の頃、哀愁を帯びた祭り衆の合唱に「あー、今年のヤマが終わった」と胸キュンとなったものだ。
「ちょんこ山」と「でか山」は少年時代の思い出に戻れる大切な祭りだ。祭りは子供の頃から参加し、体験することが一番だ。またゆっくり楽しみたい。「エンヤー!エンヤー!」