マスターズ・トーナメントの思い出

マスターズ・トーナメント・コース

Masters Tournament

今年のマスターズは松山英樹選手がアジア人初の勝利に輝いた。日本の歴代のゴルフ・レジェンドが為しえなかったマスターズ・トーナメントをついに制覇した快挙だ。

松山選手は2011年に初出場し、ローアマチュアを取ってから毎年挑戦し、10年目に勝利。憧れのグリーン・ジャケットを着た。アメリカに本拠地を移し、APGAでもまれ、十年間毎年、マスターズに挑戦し、オーガスタ・ナショナルのコースを知り尽くした上での快挙だ。

ところで松山選手にはチーム松山と呼ばれるキャディー、コーチ、トレーナー、通訳のチームがついている。マスターズを目指してきたチームプレイの勝利と言っても過言ではない。

私がマスターズ・トーナメントを観戦する機会を得たのは松山選手がまだ生まれていない、1989年のことだ。

成田からロスアンゼルス経由でアトランタに飛び、オーガスタ行きのローカル便に乗り継ぎ、やっと着いたという感じだった。オーガスタはマスターズ・トーナメントがなければ世界に知られることもなかったと思うほどローカルの町だ。当時はマスターズ・トーナメント期間中は町の人は住まいを民宿として世界中から集まってくる観客の滞在のために提供して自分たちは町を出て休暇を取っていた、!

先行してオーガスタ入りしていた観戦ツアーの方々に合流して翌日から4日間晴天の下、どっぷりマスターズ観戦!現地に行かなければ経験できないことがたくさんあった。

第一日の一番ホール

かっての名選手が本選に先駆けて、マスターズの開幕に花を添え一番ホールで名誉のティーショットをする。私はジーン・サラゼンの元気な姿をみてうれしかった。サラゼンは一番ホールをティーオフしてカートに乗り、この一番ホール、ひとホールをプレーし、引き揚げた。

今年はジャック・ニクラウスとゲリー・プレーヤーと黒人で初めてマスターズ・トーナメントに出場したリー・エルダーが招かれた。長い間、白人だけしか参加できなかったマスターズだった。エルダーは体が不自由でティーグラウンドで会釈したがティーショットはしなかった。ニクラウスとプレーヤーはティオフし喝采をはくした。

J’sの秘密

私はめったにない機会なので、予選1日目にはジャック・ニクラウスとグレグ・ノーマンの組についてラウンドを観戦した。ニクラウスが一緒に回った飛ばし屋のグレグ・ノーマンをティーショットで毎ホールのようにオバードライブ!意外だった。ノーマンはすっかり調子を崩して、初日は7オーバーで翌日もリカバーできず予選落ちしてしまった。

後で知ったことだが1989年はちょうどウッドクラブのヘッドがメタルに変わりつつあった時期だった。ジャンボ尾崎選手がジャック・ニクラウスにJ‘sというブランドのドライバーを進呈した。ニクラウスがそのJ’sを使った事が分かった。ニクラウスのドライバーの飛びの秘密はJ’sだったのだ。その後メーカーのクラブやボールの新しい開発はめざましいことは周知のことだ。

マスターズ・トーナメントのビューイング・ポイント

マスターズの観戦の“ビューイング・ポイント”というのが15か所ある。(コースレイアウトに赤い星のマークで示されている)

例えば12番のパー3ホールのティーグラウンドの後ろの位置からは12番のティーショット、12番グリーン、それからいわゆるアーメンコーナーと言われる13番のパー5のティーショットとセカンドショットがみれる。13番はティーショットを左サイドぎりぎりに打ちツーオンをねらう。アーメンコーナーと言われる所以だ。

13番グリーンのツーオンは危険一杯のグリーンを狙うことになる。

グリーン手前にクリ-ク、グリーンオーバーするとまたクリークがある!グリーンはなかなか狙えないが有名選手であろうが無名選手であろうが皆、一発を狙う!“賞金稼ぎのスピリット”に鳥肌が立った。

二日目はもう一つのビューイング・ポイントの15番のパー5のグリーンサイドのスタンドの最上段の左端に朝いちばんで駆け出して席をとった。

15番の2打地点が右に見え(双眼鏡で見る)、スタンドの前は15番グリーンのパッティングをみる。スタンドの席の左後ろは16番パー3のティーグラウンド。グリーンまで池がきれいなホールだ。

第1組が来ると次から次と選手が来るので席を立って小用にいくのもタイミングを見なければならない。

全ホールには花の名前がついている。

例えば13番はアゼリア。アーメンコーナーは真っ赤なアゼリアが咲き誇る。12番のパー3ホールはGolden Bell(レンギョウ)だ。

15番はFirethorn(トキワサンザシ)、池がきれいな16番パー3ホールはRedbud(アメリカハナズオウ)、18番はHolly(セイヨウヒイラギ)といった具合だ。ティーグラウンドは短い木のティーマークがあるだけ。スポンサーなど全くない。美しいコースだ。

マスターズのエチケット

入場するときは手荷物検査があり、ほとんど預けなければならない。もちろんカメラや携帯は持ち込めない。(ただし、観戦用の双眼鏡はコースへの持ち込みができる。)

観客はパトロンと呼ばれる。タバコは吸い殻を地面にすてるがボランティアの少年たちがすぐどこからともなく現れて拾い、処理してくれる。

グリーンに選手がいる間、観客は動けない。小用は選手がホールアウトしているあいだに席を立ち、選手がホールアウトし、グリーンが空くまで待って、また戻ることになる。

大観衆の囲まれた、グリーン上で選手がプレイ中は観衆は水を打ったように異様とも言える静けさだ。緊張の極だ。こうしたパトロンのエチケットは徹底して受け継がれている。

圧巻の練習場

練習場で選手はティーオフの時間が来るまで練習する。ゴルフ雑誌に出てくる名選手がズラッと並んで調整している。正にマスターズ、達人たちのトーナメントだ。練習場でお目当ての選手を見て、それから本戦を観る!贅沢な観戦だ。

練習場の奥に駐車場があるが尾崎選手がドライバーで打ち込むのでネットを張ったそうだ。もっともグレッグ・ノーマンは3番ウッドで超えたそうだ!

正にDriver is show!

オーガスタ・ナショナルゴルフクラブ

ボビー・ジョーンズ(1902-1971)は弁護士として生計を立てながら世界のトップアマとして活躍、1930年には全英アマ、全英オープン、全米オープンと合わせて史上初の年間グランドスラムの快挙を達成。ヒッコリーシャフトの時代だ。ボビー・ジョーンズは同年競技から引退。生涯アマチュアとしてプレーし「球聖」と言われた。

引退後、[マスターズ・トーナメント]の創設や開催コースのオーガスタ・ナショナルゴルフクラブの設計に携わった。こうしてマスターズ・トーナメントは1934年から始まった。

コースは美しく、チャレンジング。マスターたちの中でボビー・ジョーンズの設計意図に応えられるもののみが栄冠にかがやく!

18番はフエアーウエイ2打地点左にバンカーがあり、ティーショットはフェードボールで右から攻めないとバーディーは望めない設計だった。ところがニクラウスは左バンカーを超えてしまった!これを見たボビー・ジョーンズはバンカーの上にもう一つバンカーを作り上げた!

1991年に優勝したイアン・ウーズナム(英)は18番に隣接する広場にフックボールを打ち、そこから8番アイアンでグリーンに乗せてきた。ボビー・ジョーンズはこんなプレーを想定していなかったはずだ。ウーズナムの攻め方はその後誰もやらない。

ゴルフクラブとボールの進化はコースの攻め方を変化させてきた。その後、18番の左の二つ目のフェアウエイ・バンカーは更に拡大された。

オーガスタ・ナショナルゴルフクラブ

4月のマスターズ・トーナメントが終わると9月までメンバーがプレーする。メンバー1人当たり数名のビジターを期間中同伴できる。10月から4月までの半年間コースは改修・整備のためクローズする。世界からやってくるマスターズたちに最上のコースを提供するためだ。

マスターズ・トーナメントの期間中はクラブハウスやプロショップには観客であるパトロンは入れない。

またトーナメント中、観客は駐車場の通用門から入場する。入場すると右手に大きなガレージがあり、マスターズ・トーナメント期間中はここでしか買えない記念グッズを売っている。クレジット・カードは「マスターカード」しか使えない!買ったグッズは左手にある手荷物預かり所に他の持ち物と一緒に預けることになる。双眼鏡はコースに持ち込める。

1989年のマスターズ・トーナメント最終日

レイ・フロイドが16番まで一打差でニック・ファルド(英)をリードしていたが17番で3パットしボギーを打ち、ファルドに並ばれ、二人のプレーオフになった。10番は二人ともパー。11番でフロイドがセカンドショットをグリーン左の池に入れ、パーオンしたファルドが勝った。17番でボギーを打った時の青ざめたフロイドの顔をみて感じた不吉な予感が的中した。

ニック・ファルドは翌年の1990年のマスターズ・トーナメントを連覇した。

憧れのグリーンジャケット

マスターズ・トーナメントに勝つことはプロゴルファーの夢であり、目標で松山選手は10年でその目標を成し遂げた。彼はこれで終身出場権を獲得した。

勝者に与えられるグリーンジャケットは一年間自分のもとに置けるが、その後はオーガスタ・ナショナルゴルフクラブに保管され、クラブを訪問した際自分用のグリーン・ジャケットを着ることができる。

松山選手には全英オープン、全米オープン、全米プロを勝ち取るグランドスラムを目指してほしい。私達の夢だ。勿論、マスターズの栄冠に再び輝くよう応援したい。

毎年、4月がくるとアゼリアが咲き誇る、オーガスタ・ナショナルのマスターズ・トーナメントをTVで見ながら、遥かなオーガスタの思い出にひたれる幸せは私の宝だ。


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2021年5月14日 マスターズ・トーナメントの思い出 はコメントを受け付けていません ゴルフ