永遠のマリリン・モンロー

Marilyn Monroe

「小鹿物語」

七尾にいた少年時代、母が洋画ファンだったこともあり洋画の思い出が強い。
母に連れられて映画に行くのが楽しみだった。

初めて見たカラー映画はロシア映画で「石の花」。モノクロの画面に着色したような画面だった。

本格的なカラー映画は5歳ころに観た「小鹿物語」、覚えている筋はグレゴリー・ペック扮する父親が森で毒蛇に咬まれ、その解毒のために母鹿を殺してその肉を応急手当に使う。

その時父親と一緒だった息子は死んだ母鹿といた小鹿を忘れられず父に家で飼う許しを得て森に探しにいく。草むらを分けてそこに座っている小鹿(原題”The Yearling”)を見つける。グリーンの中に座っている小鹿の美しさは強烈な印象だった。

小鹿は父親の作った柵の中で育てられるが成長するにつれ野生の鹿となりやがて柵を飛び越えて畑を荒らすようになる。困った父親は鹿を森に帰すが柵を乗り越えて帰ってきて畑の作物を再び食い荒らす。

思い余った母親は鹿を射殺しきれず、結局、かわいがっていた息子が苦しむ鹿のとどめをさす。息子は鹿を殺してしまった後悔と作物を食い荒らされ困窮する生活の板挟みからいたたまれず家出する。

少年は結局戻って親を助けることになるのだが私は可愛い鹿が殺されたショックが大きく、やりきれなく悲しく何日もふさぎ込んだことを覚えている。

この映画で私は人間の手に負えないことがあることを初めて学んだがそれにしても美しいカラー画面の可愛い小鹿の印象が鮮明だっただけに何とかならなかったのかと今でも思う。

「永遠のマリリン・モンロー」

子供にとって映画の影響はとても大きい。だから子供にはいい映画を見せることは大切だ。

小学校に入ってからは映画は学校の指定する映画以外は見てはいけなくなった。
指定される洋画はまれだった。一計を案じ、見たい映画を見る算段をした。もちろん、学校には内緒だ。

七尾には当時映画館が3館あったが、そのうちのひとつの映画館のポスター貼りのアルバイトがあった。掛け合って上映される映画から見たいものをタダで見ることを条件に引き受けた。

「ナイアガラ」

小学校高学年になってショッキングな映画を見た。マリリン・モンローの「ナイアガラ」だ。
ストーリーはよく覚えていないというより、彼女のセックスアピールに圧倒されたのだ。
モンローウオーク、そしてナイアガラ瀑布にオーバーラップして横たわる水着姿のモンローの姿にモヤモヤとした。

「ナイアガラ」のモンローに私は初めて性を目覚めさせられた。
小学生でありながらモンローのような人と結婚したいとまで思った。

しかしこの夢はすぐ壊れた。彼女はヤンキースのジョーディマジオと結婚し、1954年新婚旅行に日本に来た。私が12才の時だ。モンローが好きだったことは私の秘密として誰にも話さなかった。

「バスストップ」

その後七尾で見た彼女の映画は「バスストップ」だけだ。
中学生になると、野球に熱中したことと、七尾から東京に戻ったため映画のタダ見も出来なかったからだ。

マリリン・モンローは単なるグラマー女優ではない。
知的で魅力的なかわいい声を持った柔らかい色っぽさにあふれた女性だと思う。

「お熱いのがお好き」

だから大学生になってから見た「お熱いのがお好き」の彼女が一番好きだ。
危なっかしいけど可愛くて、心地よい声の美しい姿態のモンロー。

神が作った知性と理性と感性の素晴らしいブレンドの個性だ。

ディマジオは離婚後も彼女を愛し続けたという。
私も負けずに小学校時代からマリリン・モンローに恋をしている。

マリリン・モンローは1962年8月5日、36才で亡くなったが、彼女は今も私の心に生きている。
マリリン・モンローは永遠だ。

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