JWTとの出会い
広告に興味を持つようになったのは大学に入ってからだ。
1964年の東京オリンピックも終わり、私は中央大学法学部の三年生になっていた。
さてこれからどうするか今後を考えなければならない時期で、叔父は法曹界を目指して大学院に進めと言ってくれた。有難い話ではあったが早く就職したいと思っていた。
そんな時期に読んだ「マディソン アベニューUSA」や「隠れた説得者」から新しい広告の世界に大変興味を持った。具体的に会社訪問を積極的にしたわけではなかったが、アメリカの広告の世界への強い憧れから漠然と広告を作る仕事に就きたいと思うようになった。
最終学年の春になり学生課の掲示板にでる広告代理店の求職情報を探した。
世界最大の広告代理店 J.ウオルタートンプソン(JWT)という掲示を見つけた。
初任給27,000円。電通が23,000円だった。世界一で、給与もいい!
即、入社試験に応募した。後で分かったことだがボーナスを含めた年俸ベースでは電通の方がいい条件だったがそんなことを考える知識もなく、私は全くナイーブな若者だった。
幸い合格。JWT新卒1期生として1966年4月に入社した。1期生は13人だった。
JWTでの新入社員研修
当時のオフィスマネージャーは後にJWTワールドワイドのCEOとなったドン・ジョンストンさんで前年、東京に就任して、1966年から新卒を採用することにしたそうだ。
入社してからの日々は全てが新しい経験だった。新卒は(クリエイティブを除き)皆、調査部門(トンプソン市場調査研究所)に研修生として配属された。当時の調査部門は標本調査の権威だった斎藤金一郎先生が所長だった。
全ては調査から始まるということだ。毎週木曜日19:00から21:00まで先生の統計学講座の講義があった。先生始め、当時の調査部の幹部の皆さんの熱意と労に感謝している。
調査部門の仕事は調査部独自の調査クライアントの仕事が多く研修生は調査の実査のアシスタント。調査の標本サンプリングの仕組、JWT独自のマスターサンプルの調査など調査の経験は後の広告の科学的アプローチ、アカウント プランニングを計画するのに役立った。
しかし、広告のクライアントの仕事からは離れていて、調査の大切さは理解していたが、早くJWTのクライアントの広告のプランニングのプロセスにかかわりたいと思っていた。
1966年はJWTが日本に進出して10年目。オフィスは千鳥ヶ淵に近い、三番町に在った。1966年6月。残業していると開けっ放しのオフィスの窓から武道館方向からの大きな歓声が聞こえた。ビートルズの東京公演だった!
オフィスの前の通りを今でいう追っかけのファンが大勢ビートルズの宿泊ホテルで赤坂山王にあった東京ヒルトンホテルに向かって走っていくのが見えた。
調査の仕事をしている自分と違うところで世の中が動いているような感じがし、進行形の世の中と過去のデータを扱っている自分に何となく違和感を持った。
調査の研修が終わり、媒体部の研修生となった。
媒体部では媒体プランニングの研修を集中して受けた。JWTはこの分野でもアメリカのメディア プランニング法を取り入れた。特にTV媒体の媒体効率分析はGRP、Reach&Frequency、CPM等の科学的TV媒体効果測定方法は日本では全く新しい考えだった。
入社9ヶ月が過ぎて、アカウント マネジメント(当時は Account Representative といった)に配属となった。
ついに広告の実務に参加する事になった。