「拝啓 マードック社主殿」80年代英国メディア事情

JMAニューズ1982年6月号
JMAニューズ1982年6月号

ロンドンへの赴任

アカウントプランニングを学ぶためJWTロンドンに赴任することになった。1980年のことである。出発前は引継ぎで忙しかったがお世話になったクライアント、業界関係へのこれまでのお礼と英国赴任の挨拶に回った。

(社)日本マーケティング協会からはJMAニューズ、Marketing Horizonへの寄稿を依頼された。ロンドンに赴任してから現地のトピックスを送る約束をした。

80年代のロンドン

当時英国ではマーガレットサッチャーさんが首相に就任され、経済の規制緩和、水道、電気、ガス、通信、鉄道、航空の民営化によるイギリス経済の競争力強化を推し進め、「英国病」と言われた経済不振の克服に着手したところで状況は混沌としていた。東京とは全く異なる環境で得た経験はある意味新鮮で刺激的だった。

当時オーストラリア出身のルパート・マードック氏はタブロイド紙のサンを保有していたがクオリティーペーパーのタイムス紙の買収を手掛けているところでイギリスのメディア界は彼の活動に批判的だった。

後年、英国のメディアの保有にとどまらず、米国の21世紀フォックス、ニューズコーポレーションを所有し、「メディア王」といわれるようになった。

IT化とメディアビジネス

英国ではようやく衛星放送がマルチナショナルクライアントを扱うエージェンシーのビジネスにどのようなインパクトを与えるかといったことが課題になってきているところであった。トフラーの「第三の波」が脚光を浴びているさなかでもあったが本格的なIT化はもっと先の話だと思われていたのだ。

そんな中、JWTロンドンでもIT化の波によりメディアビジネスがどう変わるか、それをビジネスの機会としてエージェンシーはどうとらえるかが検討され始めていた。

既存ビジネスの買収工作にとどまらず、大きく変化し始めていた次の時代に備えることに注力すべきではとの視点で「拝啓、マードック社主殿」というタイトルで、当時英国で議論されていたIT化によるメディアの変化の一つ、エレクトロペーパーについて紹介することにした。

以下は寄稿し掲載されたものの一つである。1980年代はじめのメディア環境での話である。

拝啓
マードック社主殿

一部クオリティーペーパーの批判にも拘わらず、3ページ目のヌード写真の貢献でと陰口をたたかれつつも、目覚ましい躍進を続ける貴殿のサン紙の好戦的アジテーションは主読者層である労働者階級の意見を忠実に反映しているにすぎないのでしょうか?

はたまた貴殿が悩み続けたタイム紙の労組問題に抜本的解決が見出せないが故のフラストレーションの裏返しなのでしょうか?

対ア紛争の影に薄れた感のある新聞労組問題ではありますが高騰する人件費、アンティークのような輪転機、効率の悪い輸送方法等他にも問題は山積みされています。ところで不満は私達読者にもあることをお忘れないように。

新聞をめくるたび、気になるインクに汚れた指。(もっともストライキ中はこの悩みから解放され・・・)街のあちこち散らかっている黄色く変色した古新聞のごみ。ブランチの時の読み物欲しさに、寒い日曜の朝、ベッドを出て角の雑貨屋まで日曜版を買いに行くいまいましさ、etc.

ひょっとしてこちらを解決してくれた方がよりよい経営につながるのではないでしょうか?

インクで汚れない新聞があれば・・・ゴミとなって古き良きロンドンの街をスラムのように見せる新聞紙がなければ・・・宅配があれば・・・いや欲しい時、いつも最も新しいニュースが読めれば・・・と思うのは私だけでしょうか?

わが英国では電話ケーブルを使ったPRESTELや、テレビに連結させたORACLE(民放のITV)やCEEFAX(BBC)によるHALモードにより、コンピューターに収集された情報システムが家庭の居間と連動し、欲しい情報がブラウン管を通し、瞬時にして取れるようになりました。

もし貴殿が、その気になればもう印刷で手が汚れることのない、最新のニュースをブラウン管を通し、しかもサブスクリプションベースで行えるのです。

ニュースから株、社交欄、案内広告、ホリデー情報、ウエストエンドの当日売り切符情報、ショッピング等ページに制限はありません。THE TIMESではなく、T-TIMESでいかがでしょうか?

つまりTはテレビのTです。(ティータイムのTではありません)。もちろん貴殿がその気になれば、日本の電機メーカーは通勤するサラリーマンがビクトリア駅に着くまで貴紙を読めるような携便なペーパーバックサイズの受信機を発売するに違いありません。

敬具


HALモードの汎用性は大変なもので一杯機嫌のクリエイティブマンでごった返す、バークレースクエアのパブで小耳にはさんだ何とも英国らしいエレクトロペーパーの実現性についての話。ユーモアもさることながら、アメリカに遅れを取っているこの分野でも情報システムは着実にジョンブルの生活の中に入り込んで行くようです。

この拙文は1982年6月発行のJMAニューズMarketing Horizonに掲載された。

それから35年以上経った。IT環境は大きく変化し、日本ではインターネットの広告費が新聞の広告費を超えて久しい。PCはもとよりスマホの普及は消費者の情報収集態度や行動を大きく変化させた。

マードック氏はしかしながらこうしたドラスティックなIT環境の革新を乗り越えて、今日も「メディア王」として君臨している。


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