焼き菓子の定番ブランド
鎌倉の鳩サブレーは鎌倉を代表する焼き菓子の定番ブランドとなっている。明治27年(1894年)に和菓子屋として創業した豊島屋が創業から3年後の明治30年(1897年)来店した外国人から貰った焼き菓子を食べたのがきっかけで作り始めたといわれている。以来、小麦粉、バター、砂糖、卵などの材料と配合比は変わっていない。
鳩形の謂れ
鳩サブレーが鳩形になったのは、鶴岡八幡宮に掛けられている八幡宮の額に二羽の鳩が向き合うように八の字の書体が描かれており、その鳩の形を取ったと言われている。また鳩は「神の使い」とも言われている。このことは教会歴の降臨節(ペンテコステ)に関連して後述する。
「鳩」が鳩サブレーという焼き菓子の重要なブランディングの役割を果たしているが、鳩サブレーは発売以来、広告はしていない。当初は日本人にはなじみのないバター風味だったこともあって発売後10年間は売れ行きが良くなかった。
しかし、ある時小児科医の離乳食にいいと言う話が新聞に載ったのがきっかけで売れ始め、次第に口コミで子供から大人まで広がっていった。鳩サブレーは今では鎌倉の定番土産として評判の焼き洋菓子だ。
鳩サブレーとの出会い
オシャレでほのかに甘く、バター風味のクリスピーな焼き洋菓子鳩サブレーを、私が初めてたべたのは昭和32年(1957年)のお正月だった。
当時鎌倉に住んでいた叔母喜久代が、お正月に年始に来てくれた時の手土産にくれたのが鳩サブレーだった。石川県の七尾市から墨田区の向島に移り、初めてのお正月だったが、七尾にいるときには甘いものと言えば和菓子。バター風味でほんのり甘く、パリッとした味わいの鳩サブレーはおいしくて、大喜びした。以来大好物の洋菓子になり、お盆とお正月に鎌倉から叔母が鳩サブレーを持って来るのを楽しみにしたものだ。
後年、独身だった叔母は鎌倉を離れ、老人ホームで余生を送ったが2003年に天に召された。その後自分で鳩サブレーを買って食べるということはなく、叔母と鎌倉の鳩サブレーの思い出は過去の事となりいつしか忘れていった。
鎌倉から浅草の鳩サブレーへ!
現在私は少年時代を過ごした向島に近い、浅草に住み7年になる。友人に勧められ、妻と浅草教会の礼拝に集うようになった。洗礼を受け、牧師はじめ、教会の兄弟姉妹とキリスト者として楽しいお付き合いをしていただいている。
ペンテコステと鳩サブレー
教会には「教会歴」という教会の暦があるが、11月24日にはじまる待降節(アドベント)に始まりクリスマス、公現日(エビファニー)、四旬節(レント)を経て受難節にはいる。復活したキリストを記念して復活節(イースター)となる。復活後40日を経て主の召天日になるが、復活日から50日の主日を聖霊降臨日(ペンテコステ)とする。聖霊がくだって教会が誕生した記念日である。
ペンテコステには聖霊の降臨を伝える神からの使者として鳩が表される。
浅草教会ではペンテコステを祝い礼拝後、参会者に鳩サブレーが渡される。そういうわけで思いがけなく浅草教会で鎌倉の鳩サブレーに再会することになった!ペンテコステが鎌倉の叔母と鳩サブレーの思い出を新たにしてくれたのである。教会を通し神は鳩サブレーを私にとって特別なお菓子にしてくれた。
教会歴ではこの後聖霊降臨節が続き再び待降節を迎えることになる。