初めてのヨーロッパとアメリカ

トム・サットンさん(左)と私
トム・サットンさん(左)と私

ロンドン

1974年5月21日~26日のインターナショナルセミナーの前に、1週間ロンドンオフィスを訪問し、ユニリーバやシュエップス担当のアカウントマネジメントの皆さんを中心に面談することができた。

とは言え、ロンドンオフィスの仕事の進め方とかアカウントプランニングについては未だ知識がなかったので、プランニングの話を掘り下げることはなかった。

JWTロンドンのアカウントディレクターたちと私がユニリーバ、ペプシコーラを担当していたのでユニリーバとシュエップスを中心に各チームの皆さんの話を伺い、夕方となればオフィスの社員バーやパブに行き楽しい時を過ごした。サットンさんからセミナーの前に英語でのやり取りに慣れるようにとのことでセミナー前にロンドンで過ごした。今思えばありがたい配慮だった。セミナーは楽しく、中身の濃い経験をした。

パリ

サットンさんはまた、セミナーの後パリで数日観光するよう勧めてくださった。パリの第1日はサットンさんの前のオフィスマネージャー、ジュリアン・モリソンさんと昼食をご一緒した。モリソンさんは当時クラフトのグローバルコーディネーションを担当しており、シカゴから訪欧中でブリュッセルからわざわざパリまでいらしていただいての再会となった。

明るいオープンテラスでのランチ。ホワイトアスパラガスと冷えた白ワインがおいしかった!モリソンさんはトンボ帰りでパリ北駅からブリュッセルに戻られた。モリソンさんとの再会はとてもうれしかった。今思えばサットンさんから連絡が行っていたのだと思う。

ジョンストンさんのアムステルダムのスピーチで引用された東京のウールマークのCMと、株主総会で喝采を受けた話も偶然ではなかったのではと思う。私のセミナー参加がサットンさんからジョンストンさんに事前に話されていたのだろう。私はロンドン、アムステルダムで夢中で勉強し、パリ観光を楽しんだ。私はサットンさんの指導と配慮に恵まれて、なんとも幸せな若者だった。

エッフェル塔明るい春のパリ。シャンゼリゼを散策し、エッフェル塔に上がり、パリを俯瞰して観た。シャイヨ宮がとてもきれいに見えた。残りの滞在時間は念願のオルセー美術館とルーブル美術館で過ごした。素晴らしい美術コレクションに圧倒された。

いつの日か娘を連れてオルセーとルーブルに再訪したいと夢のような希望を持ったが、その当時は実現するとは思っていなかった。パリの2泊3日はあっという間に過ぎた。

パリ滞在の後、サットンさんから折角の機会だからニューヨーク本社とシカゴオフィスに立ち寄り、東京に戻るよう言われた。

ニューヨーク

パリからニューヨークへは初めての大西洋線だったが、パンナムの出発カウンターでファーストクラスにアップグレードされていたことを知った!初めてのファーストクラス、しかも初めての大西洋線で!ジャンボ機のアッパーデッキはレストラン仕様!シャンパンにキャビアで始まる豪華なランチを堪能した。

まさに当時のパンナムのキャッチコピー“PanAm makes the going great!”そのものだった。(なぜアップグレードされたかは今もってなぞ!)

ニューヨークはJWTの本社とペプシコーラの本社を訪問することにした。

マンハッタンニューヨーク本社は当時、グランドセントラル駅のあるビルの上にあった。(確かグレイバービルといったと思う。)世界中の新聞の活版が柱に巻かれたレセプションは重厚な雰囲気で世界一歴史のある広告会社というJWTの誇りと威厳を実感した。

本社のニューイングランドという上級職やゲストだけが入れる食堂でランチ。マホガニーのテーブルや調度品が落ち着いた雰囲気を作っていた。インターナショナルコーディネーターのコニー・アイビーさんがご一緒された。

後年レキシントンアベニューの新しいオフィスにも訪問したがJWTの歴史と知見の重みは感じなかった。新しいオフィスは私の心にあるJWTのブランドパーソナリティーと不協和を起こしている感じがした。

JWT本社の設定でペプシコーラの本社を訪問した。運転手付きのリムジンが準備され郊外のパーチェスというところにあるペプシコーラの本社を訪問した。日本の広告事情とJWTの作品を広告担当のディレクターのウインチェスターさんとレビューした。

ケンドールさんのオフィスからの眺め当時のCEOのドナルド・ケンドールさんのオフィスに案内された。本社ビルは広い庭園にPの字をかたどった池を囲むように建っていた。ヘンリームーアの彫刻のコレクションが庭園を飾っていた。

ケンドールさんは不在だったが秘書から彼のデスクにあるボタンを押すようにいわれた。押すと池の中央から勢いよく噴水が出た。ふつうは彼がいるときだけ噴水を吹き上げるとのことだった。

すっかり長居してマンハッタンのホテルに戻ったのは夜になった。

東京にいたバド・キダーさんと再会。ディナーを楽しんだ。ニューヨーク滞在を伸ばせと言われたがシカゴ訪問予定があったので再会を約しわかれた。ニューヨークの日程は3日で1日を観光にあてた。

5番街をウィンドウショッピングし、メトロポリタン美術館に行ったがブロードウェーの観劇は時間が取れず割愛した。

シカゴ

長い旅の締めくくりはシカゴ。JWTシカゴはノースミシガン湖に沿って建つジョン・ハンコック・タワーにあった。

ゴスリングさんとご家族東京で一緒に仕事をしたマックス・ゴスリングさんに再会した。(これもサットンさんの配慮だった。)週末に彼の自宅を訪問し、旧交を温めた。ゴスリングさんは後にリンタスのチェアマン、ついでマッキャンの日本のCEOを務めた後、リタイヤされた。

シカゴオフィスではセブンアップのキャンペーンのレビューをしてもらった。JWTシカゴは当時アメリカで最もクリエイティブなオフィスといわれていた。セブンアップのUNCOLA(アン・コーラ)キャンペーンは一世を風靡。「ビッグフォト」と言われたキャンペーンは日本でも高い評価を得ていた。アメリカのセブンアップはコカ・コーラ/ペプシに対抗する強いブランドだった。

クリアタイプのセブンアップのUNCOLA(アン・コーラ)のポジショニングはアメリカならではのもので、セブンアップがコカ・コーラ/ペプシコーラと異なる機能的価値(クリアタイプ)で戦っている状況下でのものだった。

クリエイティブのすばらしさはともかく、ソフトドリンク市場はアメリカが他国、とりわけ日本と違う競合環境にあった。アメリカの成功例を海外に展開することには問題があると感じた。コークやペプシがどう対応していたか?消費者はどう反応していたか?とりわけブランドの個性について掘り下げると面白い意見交換ができたのかもしれなかったがそこまでいかなかった。

1974年の欧米訪問の旅は実り多いもので、その後の私の仕事と生活の大きな糧となった。サットンさんに大変感謝している。


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