JWTのマネージメント
これまで私が長く身を置いたJWTの広告の考え方、プランニング手法、ブランドの価値などについて私のブログ(betsmemory.com)の中で語ってきたが、これはJWTのプランニング手法の集大成ともいうべき「トンプソン・ウエイ」から学んだことに基づいている。
JWTロンドンのアカウントプランニングのスティーブンキング氏とクリエイティブのジェロミーブルモア氏が「ブランドとは何か?」の中で消費者とブランドの絆を強化することの重要性を語っており、この考え方がトンプソン・ウエイの原点である。ぜひ「ブランドとは何か?」のブログをご参照されたい。
ところで私がJWTに入社したころは高度経済成長時代。経済は右肩上がりで広告業界も好況に沸いていた。JWTは世界最古で最大の広告代理店として君臨していた。JWTの新しいプランニングの考え方の教育を受け、それを伝播する私達の努力を支えてくれた人々がいた。
私は今ビジネスの一線を退いたが、仕事の思い出とともにJWTで私達を支えてくれたマネージメントの方々について語ってみたいと思う。
ドン・ジョンストンさんとの出会い
私は1966年4月に大卒1期生として12名の同期と共にJWTジャパンに入社した。当時のオフィスマネージャーはドン・ジョンストンさん(正式にはGeorge Donald Johnston Jr.)でJWTジャパン設立後、10年目にニューヨーク本社より東京に赴任され、会社の長期的な視点に立って経営の立て直しを図られた。
人事面では若い生え抜きの人材を育てるべく日本企業の採用方式を取り入れ、大学新卒の採用に踏み切った。1966年入社の大卒採用一期生は別途採用のクリエイティブの専門職を除き、一般職の私達は調査、媒体、アカウントマネージメント(当時はAR: Account Representative といった)の3部門を6ヶ月単位でトレーニングするプログラムが組まれていた。
トレーニングで学んだ事は新鮮で刺激的だった。日本の広告界にはない、JWTならではの広告の考え方、立案の手法などを学び、後の仕事の大切な基礎となった。
マディソンアヴェニューを闊歩するニューヨークの広告マンのライフスタイルに憧れ、希望に燃えて仕事に励んだ楽しい毎日だった。当時のJWTジャパンのオフィスは千代田区三番町で英国大使館のすぐそばにあった。オフィスは2棟のビルになっていて、フロントビルディングの1階がロビーと受付で2階が大会議室とマネージメント・オフィス。リヤ・ビルディングの1階から4階が媒体、AR(アカウント・マネージメント)、クリエイティブ、マーケティング・リサーチの4部門が仕事をしていた。
ジョンストンさんは時間があるときは朝8時半から9時までリア・ビルディングの社内を回り、必ず社員の名前を呼び、声をかけたものだった。始業時刻の9時前に出社しているとジョンストンさんに会えるかもしれない!
葉巻をくゆらせながら社内を回るので、その匂いで彼の来るのが分かるのだが、入社したての私と廊下ですれ違った時、“Good Morning, Betsushima-san!”と声をかけられビックリし、何と答えたか覚えていない。
9時に彼はオフィスに戻ってしまうのだ!9時前に出社していなければワクワクする彼との遭遇はないのだ!(ジョンストンさんは社員の顔写真と名入りのカードを作り覚えられたということを後で知った!)
「Japan Today」という日本の昨日、今日、明日についてJWTの考えをまとめたスライド・プレゼンテーションが完成し、その試写に訓練生の私がオブザーバーで末席を汚した。ジョンストンさんとマーケティングやクリエイティブの幹部が激論を交わしているのを見て初めてトップマネージメントの厳しい視点にふれた。10ヶ月はあっという間に過ぎた。
JWT本社CEOへの就任
ジョンストンさんは私達の入社後、10ヶ月後にフランクフルトオフィスに転任し、ヨーロッパのビジネスを統括する役職に就かれた。
その後ニューヨークに転任され、JWT本社のCEOに就かれることになる。
東京の赴任期間は短かかったがジョンストンさんの元で将来を担うトンプソン・マンになることを期待されて仕事が出来た事は得難い経験だった。
ジョンストンさんは離日後、フランクフルトオフィスに移られたがフランクフルトの自宅にテニスコートを作られたほど無類のテニス好きだった!
東京では麻布の東京ローンテニスクラブで奥様のセリタさんとプレーされたそうだ。当時ジョンストンさんは30代後半。仕事もプライベートも若さとエネルギーにあふれていた。社員のモチベーションを上げることも怠りなかった。
1966年4月に始められたスプリング・トレーニング・パーティー(プロ野球のキャンプインに因んだ社員パーティー)では素晴らしいギター演奏と歌を披露された。
ジョンストンさんとの再会
次にジョンストンさんにお会いできたのは8年後の1974年でオランダのアムステルダムオフィスでだった。当時ジョンストンさんは46才ですでにJWTニューヨーク本社のCEOになられていた。本社の株主総会を取り仕切った後でヨーロッパに出張された際、アムステルダムに立ち寄られ、インターナショナル・セミナーに参加する私達を前にスピーチをされた。CEOとなった彼は相変わらず精悍で自信にあふれていた。
後年、ニューヨークでジョンストンさんが主催されたJWT各国オフィスのロレックス担当ディレクターとロレックスの会長との晩餐会があり、私も出席したがCEOとしてのジョンストンさんにお目にかかったのはこれが最後だった。
1987年、JWTはWPPによる買収でその傘下に入り、ジョンストンさんは引退されてバーモントに移られ、ご子息の経営するリンゴの果樹園で隠居生活を楽しまれた。
ジョンストンさんに最後におめにかかったのは1996年初めにロンドンで行われたTom Sutton Gathering(トム・サットンを偲ぶ会)。引退していたジョンストンさんもアメリカから参加され、盟友サットンさんの在りし日を偲びお話をされた。
ジョンストンさんは2014年1月3日にフロリダ州の観光地ベロビーチで亡くなられた。86才だった。葬儀は故郷のバーモントで行われた。
ダンディーで、テニスで鍛えた体をダークスーツに身を包み、広告業界のトップマネージメントとして激動の70年代80年代を駆け抜けたJWTのリーダーだった。ダンディーで若々しく、エネルギッシュだったジョンストンさんの在りし日を偲び、私たちに夢と希望を与えてくれたジョンストンさんに感謝したい。