パンナムの終焉
パンナムが経営不振に陥り、1980年代にJWTはパンナムとの代理店契約を解消した。長い間JWTのグローバルアカウントとして扱った仕事も無くなってしまった。パンナムのようなスケールのグローバルアカウントはなく、エアラインカテゴリーを埋める仕事の機会は1990年代に入るまでなかなか獲得できなかった。
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パンナムが経営不振に陥り、1980年代にJWTはパンナムとの代理店契約を解消した。長い間JWTのグローバルアカウントとして扱った仕事も無くなってしまった。パンナムのようなスケールのグローバルアカウントはなく、エアラインカテゴリーを埋める仕事の機会は1990年代に入るまでなかなか獲得できなかった。
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エアラインの思い出を古い話で恐縮だが、1960年代から80年代にかけての私の商用の搭乗経験を通して話してみたい。エアラインの選択は出張ビジネス日程、到着地を基にということが大前提にあるが、何社もフライトの選択候補があると機種や安全性、スケジュールといった点は当然のチェックポイントとなる。しかしこうした点にほとんど差がないことが多い。
「エアラインの思い出」の続きを読む…
JWTが担当エージェンシーとして長い間扱ってきたLUXはユニリーバ社の主要ブランドだ。そのLUXの日本での広告についてはすでに述べたが今一度、LUXのブランディングについて振り返ってみたい。
「LUXのブランディング」の続きを読む…
消費者のブランドの選択は個々のブランドの持つ全体像に基づいている。これをブランドの持つ価値(Brand Value)とかブランドの財産(Brand Equity)などと呼ばれていたが、JWTではブランドの個性(Brand Personality)と定義していた。
「ペプシ・チャレンジ」の続きを読む…
ドン・ジョンストンさんとトム・サットンさんという二人のコーポレートオフィサーの下で仕事ができたのは大変得難い経験で幸運だった。
サットンさんからは私にJWTロンドンで働く機会を与えてもらい、アカウント・プランニングという新しい仕事を学ぶことができた。私がこの新しい仕事に進むことができたのはサットンさんのおかげだった。
「JWTジャパンの改革とアカウント・プランニング 〜JWTのマネージメント〜」の続きを読む…
成人男性の身だしなみである髭剃りのニーズはスムースな剃り心地と安全性にある。これは古今東西変わらない。髭剃り市場はカミソリで髭を剃る消費者(ウエットシェイビング)と電気カミソリを使う消費者(ドライシェイビング)に二分されている。1960年代までは安全カミソリを使う層の前者が圧倒的だった。
「ジレットとシック」の続きを読む…
私が1966年にJWTに入社した当時、JWTは世界最大の広告代理店だった。JWTはアメリカではニューヨーク、シカゴ、デトロイトを中心に、フォード、パンアメリカン航空、コダック、ケロッグ、クラフトフーズ、ジレット等々アメリカの主要マーケターをクライアントに持っていた。
1970年代初めまでにロンドンでアカウントプランニング機能が確立された。当時英国では小売業の力が強くなり、メーカーはその対応に苦慮していた。JWTロンドンでは小売業の値引き、プライベートブランドへの対応として過去100年のメーカーと卸業、小売業と消費者の関係の変化を紐解き、ブランドの価値を維持強化することの大切さと、そのためのブランドの継続した広告の価値を訴えた。それがプレゼンテーションビデオ “What is a Brand?” である。
1967年に東京のオフィスマネージャーだったジョンストンさんがヨーロッパを統括する任務につかれ、その後任としてJWTメルボルンからアルコックさんが赴任された。アルコックさんはクリエイティブのキャリアが長く、東京のクリエイティブの強化と新規ビジネスの獲得を最優先された。
来日早々ペプシコーラとのコンタクトを開始。当時のペプシのトップと同じコンドミニアムに住み、プライベートの生活でも本人はもとより奥様同士、お子様同士お付き合いをして関係強化を図っておられた。(アメリカ広告界のドラマ「マッドメン」の世界だ)
第1章から第5章までを通した総集編は、45分と長いプレゼンテーションを通して、ブランドを成功させることが企業の成功につながることを繰り返し、述べている。