野球小僧
石川県七尾市はアマチュアの野球が盛んだった。父が「尾湾倶楽部(びわん くらぶ)」という七尾市内の野球好きの有志で作っていたクラブチームに深く係っていた関係で小さい時から野球をして遊んだ。
「尾湾倶楽部」と磐城セメント七尾工場のチームとは好敵手同士で町の野球好きが二派に分かれて応援した。もちろん私は尾湾倶楽部の応援をした。
七尾の御祓(みそぎ)小学校から御祓中学に進み野球部に入部した。当時御祓中学は石川県下一、二を争う野球が強い学校だった。上級生の練習は厳しく、下級生は玉拾い!といった感じでいきなり大人の世界に放り込まれたような気持ちになった。朝早く、バットの素振りをし、壁にボールを投げ、1人で朝練をし、いつかレギュラーになり、県大会に出るつもりでいた。
そんな時、歌手の灰田勝彦さんが興行で七尾に来た。彼は時間を割いて飛び込みで野球の試合に出てピッチャーをやり、喝采を受けた。私は持っていたバットを差し出して彼にサインをお願いした。彼はにっこり笑ってすまなそうに「書くものを持ってない」と首をすくめた。翌日学校でその話で持ち切りだと友達から聞いて、サインを頼んだのは私だとも言えず穴があったら入りたい気持だった。しばらくはラジオから灰田勝彦の「野球小僧」が流れる度にそのことを思い出してため息をついた。
小学校高学年になった頃から父の仕事がうまくいかず、生活に困るようになった。家作も人手に渡って一時、母の実家のある滋賀県長浜市に身を寄せた。中学1年生の9月に私は東京の叔父に預けられることになった。テレビもあるから好きなプロ野球も見られると言われ、収納用の竹籠に野球道具を詰めて、勇んで上京した。
叔父の家は墨田区向島にあった。七尾から出てきた私の環境は一変した。便利な生活がある反面、七尾で慣れ親しんだ、海や山であそぶことは無くなった。一番ショックだったのは転入した墨田中学の校庭はアスファルトで狭く野球ができないことだった。
野球小僧の私は野球はできなくなったが野球を諦めたわけではなかった。
プロ野球との出会い
東京に来てすぐ野球好きの友達ができた。森永キャラメルがスポンサーで後楽園の巨人阪神のダブルヘッダーの内野席に入れる機会があった。初めて入った後楽園球場は大きくいっぱいの観客で試合の前からキャラメルを食べながらワクワクしていた。
友達は熱狂的な阪神ファンでビジター、阪神のファンで盛り上がっている三塁側で観戦した。私は巨人ファンだから一塁側がいいのだが西も東も分からない田舎者の私には川上、与那嶺、藤村などスター選手を観れるだけで大満足だった。
7回表の阪神のラッキーセブンのアナウンスでみな立上り、阪神を応援するのが必勝のジンクス。なにも知らない私はすわったままで、夢中で巨人を応援し、周りの阪神ファンから文句を言われたがお構いなしだった。
後のV9時代の正捕手の森選手が二軍から一軍入りした時だった。試合はダブルヘッダー。
阪神の藤村選手と巨人の樋笠(ひがさ)選手がホームランを打ったと記憶している。
二試合とも巨人が勝ち、意気揚々と都電を乗り継いで向島に帰ったがくだんの友達は二度と私を後楽園に誘ってくれなかった。
忘れられないシーン
稲尾のサヨナラホームラン
TV中継で巨人戦を楽しんだ。西鉄ライオンズが強くなり巨人はそれまでの南海ホークス相手のように勝つのはむつかしくなった。
特に稲尾投手には痛い目にあった。巨人は日本シリーズで3連勝してみんな巨人が勝つと思ったが西鉄が二連勝。第6戦は接戦で延長に入り、大友がリリーフに立った。打席に立った稲尾がレフトにホームラン!巨人がサヨナラ負けした。続く最終戦も負けて西鉄の逆転優勝となった。
西鉄ファンからすればまさに神様、仏様、稲尾様だった。
稲尾の打ったホームランの乾いた音は耳にこびりついている。悔しかった。
川上の2000本安打
後楽園のナイターだった。その日は対中日戦。相手ピッチャーは中山投手。打撃の神様といわれた川上選手も晩年に差し掛かり中々2000本目のヒットがでなかった。
早く打ってほしいとこの夜もTV観戦で応援していた。二回目の打席で待ちに待った2000本安打が達成された。中山投手から打った打球はショートの頭上を越え、左中間に飛んで行くライナーの打球の軌跡を鮮やかに覚えている。しかし、打球音を覚えていない。ヒットになるか打球の行方を夢中で見ていたせいだろう。
長嶋の天覧試合のサヨナラホームラン
叔父は根っからの巨人ファン。読売新聞と報知新聞を購読していた。巨人が勝った日は夜のスポーツニュースは欠かさず見たほどだ。もちろん負けた日の翌日は報知新聞は配達されたままきれいに置いてあったものだ。
1959年6月25日は叔父にとって特別の日になった。
阪神小山投手、巨人は藤田投手と両エースの先発で始まった天覧試合は息詰まる展開だった。藤本選手のホームランなどで先行している阪神に王選手のホームランで追いつき、4対4で迎えた9回裏、リリーフの村山投手から長島選手が劇的なサヨナラホームラン!
カーンという音と打球の行方を追って固唾をのむ、一瞬の静寂の後、大歓声!シナリオを書いてもこううまくはいかない(両陛下のお帰りの時間の3分前だったそうだ)。正に長嶋選手のメイクドラマだ!
叔父はその夜のスポーツニュースを見てビールで祝杯を挙げ、長嶋選手の快挙を喜んだ。翌朝の新聞の配達を待ちきれなかったのは想像に難くない。
ところでこの天覧試合はもう一つ記念すべきことがあったのを後年知った。ONアベックホームラン第一号だ。
この後巨人はV9へと進んでいくことになる。
後年、私自身が巨人軍と関連してもっと大きな出来事を経験することになるが当時はまだ知る由もない。私と後楽園球場と巨人軍のストーリーはまだまだ続く。