浅草ブランドの復活、浅草ストーリーは続く

浅草国際劇場
国際劇場とラインダンスと六区のイメージ(TX浅草駅壁画より)

ショウビズのメッカ

石川県七尾市の愛宕山相撲場を見下ろす高台に七尾市公会堂があった。公会堂正面の前に衆議員議員だった大森玉木氏の銅像が立っていた。私が子供の頃は衆院議員だった大森玉木氏と益谷秀次氏が能登を代表する政治家だった。益谷秀次氏は衆議院議長を務めた。

大森玉木氏は興行に力を入れていて、東京・浅草で「玉木座」という芝居小屋を持っていたそうだ。

浅草は戦前、モガ・モボ(モダンガール・モダンボーイ)の時代からショウビジネスのメッカとして栄えた。浅草国際劇場(現在の浅草ビューホテル、国際通りにその名をとどめている)では水ノ江瀧子(ターキー)、小月冴子、川治竜子といったスーパースターが松竹歌劇団(SKD)のレビューを歌い、踊りファンを魅了した。

六区(ロック)

「公園六区」(現在のロックブロードウェイ)通りは芝居小屋、映画劇場がひしめき合う歓楽街で大変にぎわった。

私が1955年、七尾から出てきて浅草の対岸の向島の叔父の家に住むようになった当時は、ゴールデンウイークに合わせて邦画各社が競って新作を封切った。演劇ではでんすけ一座(大宮敏充一座)、女剣劇の大江美智子一座、浅香光代一座などを観る観客でごった返した。不二洋子はもっと前だったのか記憶にない。また榎本健一(エノケン)もすでに日比谷の大劇場に移っていたのか印象がない。

公園六区にはまたフランス座、ロック座というストリップ劇場があったこともあり、六区は怪しげな大人の遊び場の顔があった。永井荷風が足しげく通ったところだ。中学生の頃は公園六区には子供だけで行ってはいけないと言われたものだった。

浅草六区はしかしTV時代を迎えると映画や観劇を中心とした興行も下火になっていった。

東京オリンピックのあった1964年にはフランス座は東洋劇場となり、渥美清、萩本欽一、ビートたけし等を輩出した。2000年には東洋館として色物(漫才・漫談など)専門の演芸場になり、東洋劇場の4、5階にあった浅草演芸ホールは1971年に1階に移り、浅草演芸ホールとして落語の定席として、また漫才、手品など色物芸を扱う演芸場となった。

浅草ブランドの復活

一時低迷した浅草は地元の「おかみさん会」が中心となって立て直しを図っていった。浅草の再出発だ。

1月、観音様の初詣に始まり、2月の節分、3月の金竜の舞、4月は早慶レガッタ、白鷺の舞、5月は三社祭り、お富士さんの植木市、6月はお富士さんの植木市、7月はほうずき市、隅田川の花火、8月はサンバカーニバル、9月の待乳山聖天まつり、10月の菊供養と金竜の舞、11月は酉の市(おとりさま)、12月の羽子板市と除夜の鐘などの伝統的催事やサンバカーニバルのような新しいイベントも取り混ぜて、観音様を中心に催事が毎月ある。

公園六区の再開発で浅草ロックスやまるごとにっぽん、ドン・キホーテが新しい公園六区に加わった。東京スカイツリーがさらに新しい観光客を呼び寄せ、観音様、仲見世通りを中心に観光とイベントをブレンドして賑わいを取り戻し、浅草ブランドは復活した。

喫茶店「アロマ」

ブレンドコーヒーとオニオントーストこうした浅草の変遷を見つめてきた喫茶店がある。1964年東京オリンピックの年に開業した「アロマ」だ。

浅草演芸ホールに近く寄席芸人さんも贔屓にしている昔ながらの喫茶店だ。

15人も入れば満席になるカウンターだけの喫茶店。おいしいブレンドコーヒーとオニオントーストが私の定番だ。時間によっては芸人さんにも会える。

マスターは博識で落語に詳しい。また浅草の変遷を見てきた生き証人のような方だ。毎日のようにいらっしゃる常連さんが多い。後述する「捕鯨船」のご主人も常連さんだ。

ところで公園六区は浅草という歓楽ブランドのDNAである芸能人を輩出した場所。浅草演芸ホールと東洋館の前の四つ角を伝法院通りに向かう六区通りには、古川ロッパ、榎本健一(エノケン)、森川信、由利徹、渥美清、水ノ江瀧子、玉川スミ、田谷力三、清水金一(しみきん)、萩本欽一、牧伸二、三波伸介、長門勇、内海桂子/内海好江、宮城けんじ/東けんじ、永井荷風、浅香光代、大宮敏充、コロンビアトップ、関敬六、東八郎といった公園六区ゆかりの懐かしい芸能人30名の顔写真が飾られている。

居酒屋「捕鯨船」

河野さんとクジラの大和煮この六区通りに「捕鯨船」というクジラ料理が名物の居酒屋がある。

ご主人の河野さんはかって寄席芸人だったこともあり浅草六区の著名人。クジラの大和煮の缶詰まで製造販売する凝りようだ。

ビートたけしは河野さんの店の古い馴染みで、彼は河野さんを「兄い」と呼ぶそうだ。河野さんはビートたけしの顔写真を飾らなければ六区通りは臥竜点睛を欠くと思って、ビートたけしの顔写真用の枠を確保している。

ロック通り予約済看板「捕鯨船」の前に「予約済」という枠があるのがそれだ。31人目となる予定だが、二人の間では顔写真を入れるのはまだ早いということになっているそうだ。

公園六区は伝統文化と新しい力が混然一体となっている。

週末ともなれば奥山にある昔ながらの遊園地「花やしき」、JRAのウインズからホッピー通りは老若男女で沸き返る。

昔の怪しげな側面は影を潜めて公園六区は歓楽街のDNAを保ちつつ古くて新しいワクワクする明るく楽しいブランドになっていく。

浅草ストーリーは続く。


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