浅草の酒場
浅草は昼から飲む所には事欠かない。割烹や小料理屋といった敷居が高いところでなく、大衆的で、親しみやすく、安くておいしく安心して飲めるところが多い。
浅草1丁目1番1号の「神谷バー」
神谷バーは3階建てのビル。1階がビヤホール、2階が洋食のレストラン、3階は和風料理の割烹になっている。私たちには1階のビヤホール「神谷バー」がなんといってもなじみ深い。
神谷バーの歴史は古い。1881年初代神谷伝兵衛が酒の一杯売りをはじめ、その翌年名物の「デンキブラン」を製造販売し始めた。以来、神谷バーはハイカラな浅草の名物ビヤホールとして明治、大正、昭和、平成と浅草を訪れる人に愛されてきた。
「神谷バー」は吾妻橋の西詰の袂にあり、東詰めにあったアサヒビールの工場から出来たてのビールが直送されていた。ビールは醸造工場から近いほどおいしいといわれる。
また、東武伊勢崎線の終点、浅草駅が松屋に乗り入れていて「神谷バー」は松屋の目と鼻の先。かっては群馬県桐生市は絹織物の産地として有名だったが桐生辺りの織物職人が東武線で浅草に通い、「神谷バー」に来て、鳥打帽を前に置き、生ビールをチェイサーにデンキブランを飲む(カミヤ流というそうだ)のが彼らのスタイルだったという。
今ではアサヒビールの醸造工場は吾妻橋にはないが茨城工場で醸造された生ビールは「神谷バー」できびしい品質管理のもとに置かれている。
「神谷バー」では注文はまずチケット売り場で飲み物と和洋豊富なメニューからつまみを選び代金を払ってチケットを受け取り、空いている席に座り、ウェイターにチケットを渡せばいい。ウェイターの対応は迅速で気持ちがいい。アサヒビールから直送の生ビールは新鮮でうまい!デンキブランは「オールド」がお勧めだ。
飲み物とつまみの追加注文は席でウェイターに頼み、その場でキャッシュ払い。店内はクラシックな雰囲気でビヤホールの良さがいっぱいだ。ビヤホールならではのメニューはショウケースで確認して注文できる。
私は子供の頃、デンキブランを飲むと電気に触れたようにビリビリするとかブランはブランデーの偽物だと聞いたことがあるが、明治時代にはデンキは文明のシンボルだったから当時の先端を行くリキュールのブランド名をデンキブランにしたのではと思う。
アサヒビールの近隣の向島に住んでいた学生時代、神谷バーの前を都電で通るたび、大人になったら神谷バーで飲んでみたいと思ったものだ。
神谷バーはおいしい生ビールとデンキブラン(もちろん、清酒、ウイスキー、ワインやカクテルもある)と洋風のつまみが好評だがユニフォームを着た、ウェイターの接客態度も魅力的だ。彼らの清潔で迅速かつ丁寧なサービスが「神谷バー」を一層愛されるところにしている。それと、2014年に店内を改装して以来、喫煙室以外禁煙だ。古くて新しい「神谷バー」!
浅草2丁目4番9号の「水口食堂」
神谷バーと対照的な酒場がある。浅草演芸ホール前の六区通りにある横丁を左に入ったところにある水口食堂である。こちらは戦後、昭和の時代から60年余り続く庶民的な大衆食堂で1階36席(椅子席)2階54席(椅子24隻、座敷30席)酒は日本酒、ビール、焼酎、ウイスキー、ワインと一通りあり廉価だ。
日替わりの定食で一杯やり食事するのもよし、100種類以上の和洋メニューからつまみを取り、酒を楽しむのもいい。1階も2階もTVがある。こちらは演芸ホールやJRAで場外馬券を買いに来た人達などの他に若い人や外人観光客も増えてきたようだ。メニューは豊富でどれもおいしいし飲み物も手ごろな価格だ。
神谷バーがモガモボ時代からのモダンな洋風イメージを個性として持つのに対し水口食堂は和風で定食屋の家庭的なイメージがその個性だ。おかみさんは白い上っ張りを着て明るく親しみやすく笑顔で接客している。おかみさんと女性の店員が店を仕切っている。カウンター越しに調理場が見えるが調理場では男性の調理師がテキパキと注文された料理を作っている。
日替わりの刺身や焼き魚、ミックスフライでご飯にするお客さんも多い。
演芸ホールや東洋館の芸人さんも見かける。気軽に飲み、食べられる食堂であり、酒場だ。
水口食堂は昭和の定食屋のなつかしい雰囲気がある。まだ喫煙可だが都条例でいずれ禁煙になるはず。
神谷バーがモダンなビヤホールなのに対し、水口食堂は和風で家庭的な昭和の食堂。共通点は長期にわたって良品廉価のスタンスを変えないで、酒場ブランドとしてのそれぞれの個性を継続させてきたのが成功の秘訣であることは間違いないと思う。