浅草のどじょう鍋ブランド「どぜうの飯田屋」

飯田屋のどじょう鍋
飯田屋のどじょう鍋

魚獲り

能登の中心、七尾に住んでいた子供の頃、私は七尾港の海でハゼ、メバル、チヌなどやタコを獲ったりしたが川魚を獲ったことはない。田んぼの畔にはどじょうや鮒がたくさんいたが獲るものも食べるものも海の魚が中心の生活だった。

石川県金沢市とその近郊にはどじょうの串焼きが名物の店があるが私の育った七尾では串焼きがたまに魚屋の店頭で焼かれていたくらいだった。甘いタレをつけたもので頭は苦く、おいしくなかった。

東京の向島に戻った中学の頃、養母が魚屋から生きたどじょうを買って養父の好きなどじょう汁を作った。どじょう汁は別名、地獄鍋と呼ばれ、生きたどじょうと豆腐を鍋にいれ加熱し、熱くなってくるとどじょうは豆腐に潜り込む。すっかり火の通ったどじょう入り豆腐に味噌を加えてどじょう汁にする。

養父はおいしそうに食べたが調理法の残酷さと見た目の悪さで私達、子供は食べなかった。

どじょう鍋

その私が大人になってどじょう鍋の美味しさの虜になった。

浅草の名物料理の一つにどじょう料理がある。江戸時代から戦前までは東京郊外の水田や湿地にどじょうはいくらでもいたそうで東京の北東地域の郷土料理となっていたそうだ。どじょう料理専門店は「駒形どぜう」と、「どぜうの合羽ばし飯田屋」が浅草では有名だ。どちらも「どぜう」と旧かな使いで伝統的などじょう料理の雰囲気をもりあげているが字音仮名遣い表記に従えば「どじやう」が正しいとされている。しかし「駒形どぜう」の初代越後屋助七が4文字は縁起が悪いと3文字の「どぜう」にしたと伝えられている。

「駒形どぜう」は江戸時代から200年以上続いている老舗。「どぜうの飯田屋」は明治35年(1902年)創業で後発だがそれでも117年も続いている。

どぜうの飯田屋

どじょうの飯田屋私が飯田屋を知ったのは30年ほど前、ゴルフをご一緒した浅草の人から紹介された。

「駒形どぜう」は浅草のはずれの駒形橋のそばにあり、浅草の地元の人は「飯田屋」に行くとの事だった。「飯田屋」は西浅草3丁目にあり、国際通りにあるすき焼きの今半の手前の合羽橋商店街通りを左折すると右手に「どぜう」という大きく書かれた看板とのれんが目に入る。二階建ての和風の建物で、下町の雰囲気いっぱいの店構えだ。

知り合った浅草に住む方の勧めで「飯田屋」にいくようになった。のれんをくぐり、引き戸を開けて中に入ると広い三和土になっていて長椅子が置いてある。混んでいるときはそこで座って待つ。左手に帳場があり女将さんが座っていて、右手にはカウンター越しに調理場が見える。

私は席に着くとまずビールを飲み、つまみにさらしクジラを取る。さらしクジラはクジラの尾身や皮を湯引きして脂肪を落として冷水でさらしたもので、真っ白でフワフワと軽くやわらかで酢味噌をつけて食べる。酒のつまみにとても良い。

「まる」と「ぬき」

飯田屋のどじょう鍋で一杯さて、メインのどじょう鍋。天然もののどじょうを厳選し、下ゆでされたどじょうはやわらかく、くせがなく美味しい。どじょう鍋は薄型の丸い鉄鍋にどじょうがたれに入って運ばれてくる。骨付きの丸のままのどじょうの「まる」と骨を抜いた「ぬき」の二種類があり、私は滋味のある「まる」が好みだ。

中居さんがコンロに火を入れると後は私の好みで食べる。どじょうは下ごしらえされているのでネギのザクをたっぷり入れ、豆腐とささがきごぼうと一緒に煮る。グツグツしてきたら、ぬる澗の日本酒を2合徳利で飲みながら、食べ始める。

鍋のタレがなくなってきたらテーブルに薄口と濃口の割り下が用意されていて好みで注いで食べる。一人前で足りないときは追加すると鉄鍋に一人前のどじょうを加えてくれる。ザクネギはどじょう鍋にセットされているのでたっぷりでてくるのがうれしい。

磨きこまれた籐敷に座り古き良き時代を感じながらどじょう鍋を食べるのは至福の時だ。

私は「まる」が好みだが骨抜き、柳川鍋もあるし、唐揚げ、かば焼き、どじょう汁などがある。ウナギやなまず鍋(冬)もある。

飯田屋の家訓

飯田屋の当主は4代目。明るい好青年だ。「親父の仕事はタレを取ることと下足番」という家訓の教えを守っているそうだ。お客様への心遣いは足元までという訓えだという。

玄関を入ると上がりかまちで履物を脱ぐと下足札と引き換えに預けることになる。下足札は担当の中居さんが管理する。昔からのやり方だ。

私は大女将が帳場に座っている頃から通っているが、大女将が引退してからはおかみさんが店内を仕切っている。4代目の奥さんの若女将はおかみを助け、接客に励んでいる。中居さんも家庭的で温かい。当主、おかみさん、帳場、調理場、中居さんと全て家庭的で親しみやすい。

どぜうブランドの価値

席は座敷席と堀こたつ席。二階は座敷席のみ。堀こたつ席は足が出せるから楽で私は掘りごたつ席を必ず予約する。

飯田屋という「どぜうブランド」は伝統的などじょう料理(機能価値)とともに昔からの家庭的なもてなしと下町情緒(非機能的価値)を継続させて繁盛している。見事なブランディングの継続だ。

養父が生きていたら伝統の飯田屋の「どぜう鍋」と温かいもてなしを喜んだと思う。もっとも養父が健在の頃、私はまだ飯田屋を知らなかった。親孝行したいときには親はなしとはよく言ったものだ。つくづく残念に思う。


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