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日本におけるトンプソンウェイ実践の軌跡と展望
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エアラインの思い出

コンコルドのコックピット

エアラインの選択

エアラインの思い出を古い話で恐縮だが、1960年代から80年代にかけての私の商用の搭乗経験を通して話してみたい。エアラインの選択は出張ビジネス日程、到着地を基にということが大前提にあるが、何社もフライトの選択候補があると機種や安全性、スケジュールといった点は当然のチェックポイントとなる。しかしこうした点にほとんど差がないことが多い。

勿論、LC(ローコスト)の格安フライトはその当時はまだ存在していないので、選択の要因になるのがソフト面での差別化で迅速なグラウンドサービス対応や機内のサービス面が重要になってくる。機内サービスの質と客室乗務員(CA)の対応が、その後の乗客の選好度に影響する。一旦常用するエアラインが決まったらマイレージプログラムも固定するからソフト面での差別化は重要だ。

世界で最も経験ある航空会社。パンアメリカン航空(PAA)

1927年から1991年までPAA(パンナム)はアメリカのナショナルフラッグキャリアとして世界の航空界をリードした。ニューヨーク、マイアミ、サンフランシスコをハブ空港としその運行は六大州(北アメリカ、南アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニア)に渡りいち早くグローバルネットワークを確立した。北回りと南回りの世界一周便(フライト1便と2便)はその象徴だった。

長い間JWTはパンナムを主要グローバルクライアントとして、パンナムのネットワーク拡大につれ世界各国でパンナムの広告を担当した。JWTの手掛けた広告スローガンの「世界で最も経験ある航空会社」(The World Most Experienced Airline)というパンナムのキャッチフレーズにあるように、自他共に認める航空業界のブランドリーダーだった。

ボーイング707やダグラスDC8を中心としたジェット化をいち早く進め、一時は600機以上保有し、ハブ空港(ニューヨーク、マイアミ、サンフランシスコ等)では6機が同時駐機できるPAA専用ターミナルを持った。

パンナムとビジネスクラス

ビジネスクラスは収益のいいセグメントだ。パンナムは早くからビジネスクラスの開設と充実したサービスを他に先駆け進めた。

クリッパークラブ(Clipper Club)と呼ぶビジネスクラスを導入し、搭乗客専用ラウンジでビジネスクラスの乗客をもてなした。エアラインでビジネスクラスのコードをCクラスと呼ぶのはPAAのClipper ClubのCからきている。

1960年代後半からボーイング747(ジャンボ機)を導入し、1970年にはニューヨークー東京の直行便(ボーイング747SP)を初めて導入し、この路線でのビジネス客の獲得を有利にした(JALはアンカレッジ、ノースウエストはシアトル経由と言う様に航続距離が短い機種だった。)

パンナムの機内サービス

機体の白とシンボルのライトブルーのロゴカラーと同じライトブルーのユニフォームのキャビン・アテンダント(CA)は明るく、きびきびしたプロフェッショナルで合理的なアメリカンスタイルの機内サービスでもてなした。

1974年にパリからニュ―ヨークまでのパンナム便でアップグレードされ初めてファーストクラスで飛んだ。食事の時間になると747のファーストクラス専用アッパーデッキ(2階席)は4人掛けテーブルが設えられており、CAの指定する席でホテルのフルコースのような雰囲気の食事を経験した。シャンパンを飲みながらのおいしい食事は気持ちのいいCAのサービスと相まっていい思い出になった。

当時のパンナムの広告のコマーシャル・ジングルの “Pan Am makes the going great”(パンナムはあなたの旅を素晴らしいものにします!)を実感した。

その後のPAA

カーター政権下のディレギュレーション政策で航空業界の自由化が進行し、競合他社の国際線乗り入れで競争が激化し、高コスト体質の改善に失敗したパンナムは経営が悪化。1997年に破産した。

アメリカのシンボルのようなパンナムが消えて久しい。長く航空界のリーダーとして君臨したパンナムも消えるときはあっという間だった。

コンコルドの思い出

コンコルドは仏エアロスパシアルと英BACが共同開発した超音速旅客機で、エールフランスとBA(英国航空)が1976年1月から長距離路線で各々運用開始した。巡航高度20,000m、マッハ2.2で飛び、ロンドンとニューヨーク間を2時間52分59秒で飛んだ。通常747-400では6時間55分も要したから、コンコルドはその飛行時間を半分以下にした!

もちろん運賃はファーストクラスの倍の価格で特別な乗客が対象となる。サービスは至れり尽くせりで、コンコルド搭乗客専用空港ラウンジ(コンコルドルーム)があり、ラウンジはシャンペーンや豪華なアメニティーサービスがあった。

1988年4月21日に幸運にもニューヨーク発ロンドン行きをコンコルドに搭乗する機会にめぐまれた!ビジネスクラスで予約していたBAのニューヨーク発ロンドン行きの便がキャンセルになりビジネスクラスの乗客がコンコルドにアップグレードされたのだ!思いもしない幸運だった。美しい三角翼の憧れのコンコルドに乗れるのだ。ラウンジから駐機されてる美しい機体を見てワクワクした。

搭乗すると機内は中央の通路を挟んで片側2列のでグレイの革張りの席。片側50座席100人乗りで747が400人乗りに比べ、機内は狭い。窓も小さく分厚く牛乳瓶の底のようだった。離陸はアフターバーナーで加速させるので体が座席に押し付けられる感触があり、アフターバーナーが止ると体が元に戻り、一瞬機体が止まったような感じがした。まさに超音速機の加速スピードを体感した。

水平飛行に移ってすぐ機内サービス。搭乗時間があまり長くないからCAは機内サービスをてきぱきすすめていた。(747のゆったりしたくつろぎ感はなかった。)ダメもとでとアテンダントにコックピット(操縦席)を見学したいとリクエストしたら機長がOK!747に比べコックピットは狭く、機長と副操縦士と機関士の3人がようやく収まるスペースだった。2001年の同時多発テロの後だったら警備が厳しくなってこのような経験はできなかっただろう。こうして夢のような3時間のフライトはあっという間に過ぎた。

ファーストクラスの2倍の費用を払い、6時間の通常フライトを3時間弱にするニーズのある人はどのような人達か考える暇もない!

コンコルドの退役

コンコルドは燃費が悪く定員も少ないため収益性の低い機種だった。時代の要請はローコスト大量輸送に向かっているときで、そうしたニーズとは逆行していたようだ。2000年に墜落事故、2001年の同時多発テロの影響もあって2003年10月に営業終了し11月に退役した。

JALの思い出

JALが本格的に国際線に乗り出し、国際線の路線を拡大していくのはPAAよりはるかに後だ。戦後の立上りの遅れや規制が影響していた。1972年までに日本の航空界は日本航空(JAL)、全日本空輸(ANA)、東亜国内航空(TDA)の大手3社が確立し、2008年にはTDAはJALに統合され、JALとANAの2社が競合することになるが、1986年にANAが国際線に進出するまでJALがナショナル フラッグ キャリアーとして国際線を飛んでいた。

1964年に海外旅行が自由化されパッケージツアーが開発されていく。しかし海外旅行が身近なものになるのは、銀行と組んだ旅行ローンなどがパッケージツアーに組み込まれてからだった。

ハワイ9日間が36万4000円(大卒初任給の19倍)、JALパックヨーロッパ16日間コースが67万5000円、現在の物価に換算すると各々400万円、700万円という高額だった!

1965年に始まったJALパックブランド商品の発売はJTBのルック、日本旅行のマッハ、近ツリのホリデーなどが銀行とタイアップして海外観光旅行を販売促進し、パッケージツアーのマーケットを拡大していった。憧れの海外旅行が身近なものになっていったが、JALはホテル事業も手掛け、ジャルパックはパックツアーをリードした。

JALのビジネスクラス

ファーストクラスのCAの着物サービス。乗客が機内でくつろぐためのハッピーコート。CAのユニフォームは森英恵デザインのミニスカートなど、JALの思い出はいろいろあるが何と言ってもパンナムのアメリカンスタイルに対し、JALならではのクリーンできめの細かい日本的なおもてなしのサービスが心地よかった。熱いおしぼりサービスはJALが始めたアイデアだった。

ニューヨークのサクララウンジでは銀座木村屋のアンパンと煎茶のサービスがうれしかった!機内では帰心矢のごとしの帰国する搭乗客、特に出張帰りのビジネス客には熱いおしぼりでくつろぎ、おいしい和食と日本酒のサービスが良かった。出張先の現地では洋食が中心の場合が多く、帰りの便での和食と日本のビールと日本酒の美味しさは格別。帰りの便は絶対JALと思ったものだ。

新しい競合

1986年ANAが国際線に進出し、国内線、国際線両方で2社がしのぎを削ることになったが新しい競合環境が出てくる。国内ではJRの新幹線との競合や低価格のローコスト(LC)航空会社の進出への対応に迫られる。JALは国内線にもファーストクラスを設定し、ソフト面での差別化を図り異業種との戦いやLC便への対応といった新しいマーケティングの課題を抱えることになる。


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2022年8月20日 エアラインの思い出 はコメントを受け付けていません JWT アカウントプランニング
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