新たな出発
JWTに入社して8年目の1974年は私が新しい方向を目指す出発点となった。
1974年に初めてアカウントプランニングの考え方と手法に触れることになった。
オフィスマネージャーのサットンさんからオランダ、アムステルダム近郊のノールトウエイクで行われるJWTインターナショナルセミナーに参加するよう言われた。
JWTに入社して8年目の1974年は私が新しい方向を目指す出発点となった。
1974年に初めてアカウントプランニングの考え方と手法に触れることになった。
オフィスマネージャーのサットンさんからオランダ、アムステルダム近郊のノールトウエイクで行われるJWTインターナショナルセミナーに参加するよう言われた。
JWT入社後研修も終わり、アカウントマネジメント部(当時はアカウントリプレゼンタティブ部)に配属になった。
当初は海外(主にアメリカ)から依頼された広告(コレポンアカウントと言われた手紙でやり取りする仕事)や長瀬産業コダック製品部のノンアマチュア製品の仕事を担当した。
手紙・テレックスのやり取りで扱う仕事はマクダネル・ダグラス、チャンピオン・スパークプラグ、USタバコアソシエーツといった扱い額は小さな仕事だった。また、長瀬産業の仕事はコダックの印刷用製品、X-Ray製品、フォトファブリケーション製品といった特殊な分野の業界広告だった。
広告に興味を持つようになったのは大学に入ってからだ。
1964年の東京オリンピックも終わり、私は中央大学法学部の三年生になっていた。
さてこれからどうするか今後を考えなければならない時期で、叔父は法曹界を目指して大学院に進めと言ってくれた。有難い話ではあったが早く就職したいと思っていた。
そんな時期に読んだ「マディソン アベニューUSA」や「隠れた説得者」から新しい広告の世界に大変興味を持った。具体的に会社訪問を積極的にしたわけではなかったが、アメリカの広告の世界への強い憧れから漠然と広告を作る仕事に就きたいと思うようになった。